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本昭寺(西本願寺)
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戦前の富平町にあった真宗本願寺派の西本願寺の姿です。
写真:近代韓国(上)206頁より
明治27年11月に本派本願寺から一等巡教師大洲鐵燃が訪韓、李王に
謁見し布教を上申した。(注01)明治31年8月布教師を派遣し、南濱町3番地に布教所を設立した。
明治39年1月西町4丁目に本派本願寺釜山出張所を竣工した。
明治42年独立経営開始
大正?年に富平町2丁目に新築移転(注02)
正式の名前は「本昭寺」ですが西本願寺と呼ばれ東本願寺と対で地図や絵葉書に表示されている。
背景の山の稜線が消されているのは鎮海要塞司令部の検閲です。
尾根や遠景が写ると場所の特定ができるので戦時体制ではすべての絵葉書や新聞・雑誌など出版物が
検閲対象になっています。釜山タワーから見た西市街地(2017/11/13撮影)
信徒数は釜山で最大で約1万人あったようです。
本堂に向かって右手に六華幼稚園(西本願寺付属)があった
旧住所は釜山府富平町1丁目17
檀家総代福島源次郎
昭和20年9月 米国に敗戦した日本は朝鮮からの総帰国命令を受けて引揚げることになりました。西本願寺墓地の遺骨は釜山日本人世話人会によって分骨され福岡市の 聖福寺に 安置されました。
ご先祖様の霊に参拝は聖福寺までご連絡の上、お出かけ下さい。
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現在は雑多なお店が並んだ市場になっています。
痕跡がまったく残っていないで火事で焼けた後
今の建物が出来たのではないかと思います。釜山は火事で焼失した場所が多いので火事の
記録を探して見たいと思っています。現住所:釜山広域市中區富平洞1街10
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注01:釜山要覧:大正元年
注02:釜山要覧:大正13年
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