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西洋料理 宮嶋軒

 

富平町二丁目8番地に西洋料理 宮嶋軒(みやじまけん)があった。

ご子孫の方から貴重な画像をいただいた。

写真下部が破損しているのは 朝鮮から引揚のとき手荷物の制限がありアルバムを持ち帰ることが許されず、
アルバムから無理に剥がして持ち帰った為と思われる。

釜山からの引揚者から頂いた写真の多くがこのように隅が破損している。
西洋料理 宮嶋軒

屋上にある「サスガ」の看板は 釜山で愛飲されていた銘酒サスガの宣伝看板。

経営者の町田フサヨ

---------------- 以下 引用 ----------------------

>>広島県出身の町田フサヨが同郷の植島新五郎と釜山に渡り、
>>一代で築き上げた店と聞いております。
>> (ゼロから始めたのか、誰かから買ったのか、詳細は不明)
>>
>> 繁盛したようで、景気が良かったころには軍人さんにも
>> よくご利用して頂いたとのことです。
>>
>> 終戦により大阪に引き上げ生涯を終えましたが、
>> 芯の強い人だったそうです。
>>
>> なお植島新五郎は大工だったと聞いているので、
>> 同町内の植島新五郎(建築)ではないかと思われます。
---------------- 引用 終了----------------------

昭和11年の地図に緑の丸で西洋料理 宮嶋軒の位置を示した。
西洋料理 宮嶋軒

宮嶋軒の住所は釜山府富平町2丁目8、地図画像では2-8番地は小さいが、
2-9番地と合筆したと思われる。

戦後の番地は8-1から8-8までに分けられ9番地は消えている。

地図で西本願寺と金融組合連合会ビルの間の後方なので絵葉書で探すと宮嶋軒が見える

西洋料理 宮嶋軒


釜山のこの付近は古い建物はすべて消え、地番が細分化されている。
火事などで消え、その後に朝鮮戦争の難民たちが住み着いて土地が細分化されたと思われる。

釜山府富平町2丁目は釜山廣域市中區富平洞2街に地番が変わり、2007年の地番改定で町名が消え
道路名+数字の番地になった。

宮嶋軒のあった釜山府富平町2丁目8番地の現在の地番は富平2キル63番地である。
現在の様子を眺めて見よう。戦前の地番を赤で記した。(2011/11/26撮影)
西洋料理 宮嶋軒

最後に釜山タワーから眺めた釜山市街地画像に宮嶋軒のあった位置を赤で示した。
西洋料理 宮嶋軒
(2017/11/13撮影)



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