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株式会社 立石商店

 
立石商店

釜山の石油や重油販売、製油工場などで大きく
なった立石商店は 株式会社としては浅いですが
個人企業の 釜山の諸油類製造・卸商として歴史が
ありました。

石炭から石油へのエネルギー転換期を感じ取った
立石良雄は取扱品目を石油関連に特化して大きく
成長することになりました。

牧島に1万5千坪の製油工場、製氷工場、重油
貯蔵施設、 釜山で最初のガソリンスタンド
2号倉庫、灯油の 訪問販売  漁船への重油販売

旧住所:釜山府本町1目25
石油倉庫
立石商店方漁津支店、立石良雄商店九龍浦出張所
河東、宣寧、泗川、新反、南海、統営、咸陽、固城、梁山、西帰浦、三稜、蔚山、彦陽、宝城

別会社
立石汽船、京城モータース梶Aコーライ自動車商会梶A京城日産自動車商会

立石商店

創業者は立石良雄
(明治16年に福岡県宗像郡赤間町)
釜山商業会議所会頭として経済界の 重鎮でした。

明治44年:29歳の時釜山に渡り、蝋燭製造を
松尾商店釜山支店」の屋号で始めました。

大正4年 ライジングサン社の石油販売開始
大正5年 原田製綿所(おたふく綿)取引開始
大正6年 内外石油と取引開始
大正7年 蝋燭工場を兄の直作に譲渡

埋立新町に店舗新築し石油専門に

大正8年 竹内鉱業とカーバイト販売契約

8月:松尾商店から営業権を譲受けて独立
立石良雄商店の設立
日本石油大阪支社と取引開始
大正9年 蓬莱生命保険代理店
大正10年 内外石油の倒産で施設を買取る
大正11年 ダンロップタイヤ(日本自動車)取引開始
佐藤町の倉庫住宅を買取
大正13年 弟の立石善蔵(赤間町信用組合長)が入店
牧島油槽所開設
第一良友丸を建造(港内配給船)
大正14年 ライジングサン第二蝋燭工場買取(牧島)
第二良友丸を購入(港内配給船)
大正15年 第三良友丸を建造
南濱販売部開設
昭和2年 第一良友丸(2次)を購入
昭和5年 蝋燭工場閉鎖
昭和6年に株式会社立石商店に組織変更

昭和7年 第二良友丸(2次)を建造
昭和8年11月 第三良友丸(2次)を購入

12月 第十五良友丸を建造
昭和9年4月 牧島に石油精製工場建設
昭和10年4月 第十七良友丸を購入
2月 南濱販売部を大橋通に移転

海上給油施設(バージ)の二見丸シリーズが10隻ありました。

昭和16年に京城に出張中に急死

息子の立石信吉は立石商店の別会社である京城トヨタ自動車販売の代表として
京城で働いていましたが跡を継ぐため釜山に戻る。

昭和18年 山峰コースス鰍ニ朝鮮マッチ製造鰍フ株式を取得して経営拡張
昭和20年 敗戦で資産を接収され、無一文で帰国
昭和22年 下関で立石商店を再興、石油販売を再開
昭和26年 旭タンカー設立
昭和33年 李承晩ラインの設定で倒産した漁業会社の石油代金が回収できず

立石商店は連鎖倒産
旭タンカーは盛業中(2009年 現在)
立石商店

写真は1960年7月28日の様子です。
選挙運動の横断幕が出ています。

左の建物が立石商店本店だった建物です。
1960年夏までは残って利用されていた 事が
分かります。戦後 どのように使われた のか?
まだ詳細は分かりません。

右の建物の屋根が見えるのは戦前 釜山で
一番のホテルだった「 釜山ホテル」の建物です。

出典:写真で見る釜山50年 53頁
韓国写真作家協会 釜山広域市支会
1995年発行
立石商店

立石商店の建物があった場所の現在の様子です。
道路脇の植え込みになっています。

場所は釜山地下鉄1号線南浦洞駅の上です。

(2005/11撮影)

立石商店の建物が出来る前 最初にこの場所を
明治の頃に使ったのは 第五十八国立銀行です。

立石良雄の作った住宅は大廳洞に現存しています。



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