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北海道の函館で明治25年に生まれた桜庭藤夫は
大分県別府市に移転し、そこから大正14年に
満活土地企業会社釜山市店の支配人として
釜山に渡りました。昭和2年独立し活動常設館「幸館」を作りました。
ところが昭和5年失火で「 幸館」が焼けてしまった
のです。そこで釜山の実業家の大島芳輔と合同で
出資して理想を追求した最新の設備の映画館の
「昭和館」を作り上げました。
写真:釜山映画百年56頁より
広告:昭和9年3月;釜山日報
また「サクラバ商事」という映画配給会社を
作り、パラマウント社と契約して、満州、朝鮮
の全域に洋画の配給システムを作り上げたのです。桜庭藤夫は下記の会社も経営していました。
丸善醤油会社、安川電気南鮮代理店、東洋生命
保険代理店、朝鮮日報釜山支局旧住所
釜山府南濱町3丁目4番地写真:釜山映画百年42頁より引用
敗戦の日本人引揚げで 韓国人の経営になり
1947年には「昭和館」から「朝鮮劇場」と名前も
変わりました。新聞広告は釜山日報より
1949年に東亜劇場に変わりました。釜山教育史(釜山市教育委員會)64頁より
壇紀4292年5月発行(1959年)
1968年 映画のブームが去る時
閉館して東亜百貨店になりました。
現在はテナントビルになっています。
今も 昔のままの建物がそのまま残っています。
改造されていますが側面の丸い窓などに面影は
くっきりと残っています。
(2006/01撮影)
現住所:釜山広域市中區南浦洞3街4
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