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釜山劇場

 
釜山の貿易商で釜山民団議員としても 活躍した有力者の 五島甚吉が釜山に娯楽設備が
必要だとして富平町に釜山座を作りました。

映画館の釜山座は昭和8年不慮の火事で焼失しました。

釜山劇場

釜山の新聞社のひとつ南鮮日報社の社長
小川好蔵は 釜山に劇場がないことは文化的に
マイナスだとし 多数の有志を集めました。

昭和9年(1934)6月に組合組織をつくり、 11月に
釜山劇場を新築開演することができ ました。

写真:釜山映画百年52頁より引用

旧住所:釜山府昭和通2丁目16番地


昭和20年(1945)日本の敗戦で日本人はすべての財産を残して帰国する ことになりました。

釜山劇場

残った劇場施設は韓国人の手で再開され
戦後最初は「港都劇場」の名前で開演
されました。

1947年から「道立釜山劇場」となり慶尚南道の
道立劇場として講演会や集会など市民に娯楽を
提供することになりました。

図は1948/1/21の釜山日報の広告

1950年6月 朝鮮戦争が始まると 釜山に首都が
遷都され、釜山劇場は国会として使用される 事に
なりました。

施設が狭いのと道庁の建物を使った政府庁舎と
近い方が好ましいとされ富民洞の武徳殿に
まもなく移転しました。
釜山劇場

国会の移転後は釜山劇場の名前で映画館が
再開されました。

釜山教育史(釜山市教育委員會)63頁より
壇紀4292年5月発行(1959年)
釜山劇場

現在の釜山劇場の姿です。

新築され大きなシネコンになっていて
当時の面影はありません。

映画館の前の PIFF広場は 多くの 露天商
店を並べ毎日賑わっています。

現住所:釜山広域市中區南浦洞5街8

(2006/08:撮影)


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