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龍頭山神社

 
龍頭山神社 龍頭山神社は対馬の宗氏が山頂に祠を
設けて航海の安全を 祈願したことから
始まります。

正式に神社となったのは延宝6年(1678) に
古館の居留地から移転した時からです。

対馬の3代目 宗義眞の建立した方四尺の
石祠で金毘羅大神を奉祀しました。


龍頭山神社

写真は釜山府の月刊機関紙「釜山」の昭和3年
7月号より

大勢の人たちで賑わう250年記念祭りの様子が
分かります。

合祀履歴
明和2年7月 住吉大神 天満天神
慶応元年2月 天照大神
明治13年8月 八幡大神
明治29年4月 広国大神
明治32年4月 須佐之男大神 神功皇后 豊国大神

社号は当初は金毘羅神社と呼ばれていました。
明治27年に社号を「居留地神社」に改めました。
明治32年2月から「龍頭山神社」になりました。

祭日は4月21日・22日の両日に定め、明治41年
以後の祭日には神幸の儀式が行われました。
龍頭山神社

明治43年 神輿ができました。

以後 祭日の長手通りはお祭り気分の
人々で 賑わうようになりました。

神輿の後ろの店舗は辻利茶舗


龍頭山神社

釜山の湾内を一望にできる龍頭山は
釜山 府民の安らぎの場所でした。

境内に釜山開港の恩人である対馬藩士の
「津江兵庫」を祀る津江神社もありました。

写真は龍頭山神社の本殿のアップ
釜山日報(昭和2年12月22日)
龍頭山神社

昭和11年発行の立石商会の社史で紹介
された龍頭山神社

階段の下に鳥居が出来ています。
龍頭山神社

龍頭山神社の配置図です。

現在の釜山タワーの場所に本殿があった
様子が分かります。

本殿の右の低くなった場所には神楽堂と
神庫が 作られています。

昭和7年渡津橋(影島大橋)の建設にともなう
幹線道路拡幅工事で 龍尾山が 撤去されると
頂上にあった 龍尾山神社.1は龍頭山の東側に
移転して新しい龍尾山神社.2になりました。

龍頭山神社本殿の南側には弁天神社がありました。
龍頭山神社

桜の並木も季節には満開だったようです。

連合軍の出したプツダム宣言を受け入れ敗戦の
連絡が朝鮮総督府に来ると国幣小社である龍頭山
神社に昇神式を行うよう通知がきました。

宝物を海に沈め、神社の建物は日本人の手で解体
270年の歴史は消えることになりました。


龍頭山神社

現在は 龍頭山公園となり 釜山市民の憩いの
場所として 親しまれています。

神社の痕跡は40階段文化館に展示されている
手水石 が ひとつ残っているだけです。


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