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守谷旅館
守谷旅館は釜山居留地時代の明治
37年に 着工、明治39年に完成しました。龍頭山の麓の高台にあって自然の
樹木や奇岩を庭にしたとして展望の
良い旅館として評判で、設備も釜山で
最高でした。伊藤博文が統監として赴任する時,ここで
釜山の有力者が歓迎式を開きました。住所:釜山弁天町三丁目
電話:35番
写真は大正15年当時の南濱海岸です。
龍頭山神社の下に 釜山府立病院と
旧 守谷旅館が大きな建物として目だって
います。大正14年に釜山府立病院の入院施設増設のため
守谷旅館は買収され旅館一覧から消えました。
守谷旅館のオーナーは守谷長次
愛媛県新居郡中萩村出身
本業は鉄道工事請負で、明治17年 守谷長次が27歳の
時から始まりました。山陽鐵道、阪鶴鉄道、関西鐵道、九州鐵道、伊豫鉄道
住友鉄道・・・など多くの鉄道建設に携わっていました。京釜鉄道建設にあたり渡鮮、工事監督をしていました。
明治37年 密陽に最初の旅館を作り、翌年は大邱
3番目が釜山です。
写真は廃業して消えた 美花堂百貨店の
別館の建物です。
閉まったままの店舗は寂しげです。この場所に昔の守谷旅館はありました。
現住所:釜山広域市中區光復洞2街
(2005/01 撮影)
美花堂百貨店の後ろの建物だった部分が
撤去されて、重機が働いていました。(2010/05撮影)
写真を撮る良い機会なので近寄りました。
後ろの高層ビルはロイヤルホテル(廃業)
(2010/05撮影)
工事用に囲った保護幕の穴から覗くと予想した
ように、明治頃に立てられた石垣がありました。このような石垣を見つけて喜べるのは釜山の
近代史 マニアだからでしょうw。(2010/05撮影)
視点を右に移動します。
石垣の所まで広い道路だったはずですが
朝鮮戦争の 時の難民が釜山に押し寄せて
来て石垣の前に住宅を作って既成事実に
なった のでしょうw(2010/05撮影)
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