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貿易商 保家貞八

 
貿易商 保家貞八 貿易商 保家貞八 保家貞八は嘉永元年 対馬で生まれました。

文久3年 16歳のときに対馬藩の公務と
して 釜山の居留地勤務になりました。

明治4年の廃藩置県で公務を解かれると
商人 をめざし 明治7年 釜山に渡りました。

釜山を熟知しているのと堅実な性格が
信用を 産み、貿易商として富を築くことが
できました。

釜山商業会議所 釜山居留民会議員には
毎年当選し、明治38年には釜山居留民
会議長になりました。

明治40年  日本赤十字総会に出席

釜山赤十字社、海員救済会など多くの
団体役員や会社役員を兼務していました。

ところが 大正になると名前が消えます。

明治の末ごろ亡くなったと思われます。
貿易商 保家貞八

釜山弁天町1丁目にあった保家貞八の
貿易店舗兼居宅です。(明治38年)

現在の光復路入口から光復郵便局
までの50mくらいの間の位置にあった
ことまでは分かりますが・・・・
明治の頃の弁天町1丁目までは特定
できますが番地までの特定がまだでき
ないので 現在の場所を示すことは
できません。



読み方を知らなかったのですが 掲示板で天本さまから下記のようなご指導いただきました。

保家(ほけ)と読みますが、対馬に多い性です。その他に仏家(ほっけ)、一(このまえ)などの姓もあります。


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