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辨天町(べんてんちょう)は旧漢字で新漢字では「弁天町」と表記される。
ここでは混ざって使用するので同町名だと理解いただきたい。辨天町は日本統治時代の釜山で一番の繁華街です。
大商人の問屋が軒を連ねる場所がが前回述べた本町で、大小の小売店舗で賑わう商店街が辨天町です。辨天町を3つの章に分けて述べたい。
総論では辨天町の全体の様子や大まかな歴史の流れ流れを示す。
各論では辨天町1丁目から3丁目までを個々の特徴を知図を見ながら解説、丁目ごとに3頁を予定。
詳細では丁目ごとに住んでいた人々や建物の履歴、頁数は未定。
全体の様子
最初は地図で辨天町と戦後の町名が光復洞に代わり地域も広くなった様子を眺めて見たい。昭和11年の釜山市街図に辨天町を着色した。
辨天町一丁目=赤 光復洞1街
辨天町二丁目=緑 光復洞2街
辨天町三丁目=紫 光復洞3街
戦後に光復洞に編入=黄 光復洞4街から12街
1945年 WW2の敗戦で日本人は総引揚になり、1948年大韓民国独立
1947年釜山の町名が韓国名に代わり、辨天町は「光復洞」となった。
1956年7/25に新昌洞(西町)、昌善洞(幸町)の全部が光復洞に編入され、
南浦洞3街(南濱町三丁目)が光復洞に編入され光復洞は12洞になった。
1982年に東光洞1街25番地(本町1丁目25番地)が光復洞1街に編入された。
光復洞住民センター前にある看板を撮影(2010/2/27)
辨天町の由来
延宝6年(1678)に 古館倭館と呼ばれた現在の釜山廣域市東区庁の場所にあった居留地が 龍頭山の麓、
現在の中区に移転してから新しい居留地(草梁倭館)が始まった。草梁倭館は日本が朝鮮と外交交渉や貿易をする為、対馬の人達が住んでいた場所。
長崎の出島のように塀の中では自由に動けるが塀の外に出るには時間や距離の制限があった。航海の安全祈願のため、対馬(対州府中藩)の人達は龍頭山の中腹に辨才天神社を建てた。
江戸時代の日本人が住んでいた草梁倭館の絵図に辨才天神社を赤丸で囲んだ。この神社の参道入口付近が辨天町となったようだ
明治9年(1876)に締結された日本との江華島条約によって 釜山は開港することに なり、
明治10年1月30日 釜山港専管居留地借入約書が結ばれ、草梁倭館が日本人居留地となった。当初は港や領事館のある龍頭山東側を1区、龍頭山南側を2区、龍頭山西側を3区と呼称してたが
人口が増えると町名を付け、龍頭山の南麓の2区の山側が辨天町となり、海側が南濱町になった。開港当時(1885)の辨天町の様子
釜山広域市中区庁の出した写真集「釜山・釜山港130年」の裏表紙の写真を引用明治の開港したばかりの時期に撮られた釜山の長手通り(現在の光復洞2街)の光景。
現存する辨天町のいちばん古い写真だと思われる。
背後に見える山の稜線は影島、現在の光復路は繁華街で建物が高くなっているので山は見えないが、
当時は どこからでも影島(当時の名称は牧島)を見ることができた。中央の小川は「桜川」
川の左手は「縄手通」右は「中辻通」と呼ばれていた。
明治15年ごろ川を溝にし、フタをして両方の道を合わせて広い通りになり、新しい道路名が「長手通」小川には多くの橋が架かっていて、その中に思案橋と言う長崎で有名な橋の名前を取って名づけた橋は
地名として川がなくなった後もしばらく店の場所紹介などで思案橋前とか新聞広告や 路面電車の
停留所名などでも見ることができる。長崎の思案橋は丸山遊郭の入口にあって橋を渡るか?思案するところから名称が生まれたようです。
釜山の思案橋前は普通の商店街で釜山の遊郭は郊外にあった。
下記画像は辨天町2丁目「思案橋前」電車停留所
同じ角度で撮った旧「思案橋前」の現在の様子(2014/5撮影)。現在の道路名は「光復路」
最後に日本統治時代(昭和)の釜山龍頭山の辨天神社。
辨天神社は鳥居を抜けて龍頭山神社に向かう参道の左側にありました。
龍頭山神社に向かう参道の右側には龍尾山神社がある。
龍尾山を削って新しい釜山府庁舎を作るため、神社を龍頭山神社に移転した
本殿の龍頭山神社は最初は草梁倭館創設の頃の金毘羅神社であった。
明治13年に神殿を新築、明治30年に増築し居留地神社に変名、明治32年に龍頭山神社となる。龍頭山神社の最後はポツダム宣言を受け入れ敗戦の連絡が朝鮮総督府に来ると国幣小社である龍頭山 神社に
昇神式を行うよう通知がきた。
宝物を海に沈め、神社の建物は日本人の手で解体270年の歴史は消えた。
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