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高野山金剛寺
(真言宗)
セドゥル・マンション
高野山金剛寺は大廳山の中腹に
明治31年に創建され、信徒が集い
大師堂が建立されました。総本山智積院は管長代理の見田
正照を派遣して弘法太師の象を
安置し、入仏式を行いました。明治43年 総本山から独立が承認
され 高野山金剛寺と号しました。
見田正照はそのまま住職となりました。
見田正照は尾張の生まれで、代々仏門の
家で、紀州高野山で大学林を卒業した頃
選ばれて釜山に派遣になったようです。見田正照は高野山の仏教を広め本堂建立の
為に壇信徒に喜捨を呼びかけました。
大正3年 9間10間の本堂ができました。
敷地1809坪、本堂90坪、大師堂16坪、庫裡17坪
不動堂2坪、炊事場15坪新釜山大観より:果川市の太虚さま提供
昭和8年に金剛寺の石段の右側に作られた
大師医院ですこれは弘法大師1100年忌に際し、お祭りを
廃して、社会に有意義な貢献をめざして
大師の事績にゆかりのある貧民救済医療
施設を思い立ち、朝鮮人に対して無料診療
行う病院として建設されました。新釜山大観より:果川市の太虚さま提供
高野山金剛寺の出張所は影島、草梁、
釜山鎮の三箇所にありました。全鮮では末寺・布教所が合計42箇所に
増えていました。旧住所:釜山府大廳町4丁目80
昭和20年9月 米国に敗戦した日本は朝鮮からの
総帰国命令を米軍から受けて、すべてを残して
手荷物だけで引揚げることになりました。
遺骨も持ち帰る事ができませんでした。
それで金剛寺墓地の遺骨は 釜山日本人世話人会に
よって分骨され、昭和21年10月 会長 鏡一以が帰国
時に 遺骨を日本に 持ち帰ることになりました。
福岡市博多区にある聖福寺に 祭壇を造り安置
されました。ご先祖様の霊に参拝は聖福寺まで事前にご連絡
してからお出かけ下さい。写真は分骨記録帖、聖福寺所蔵
(2010/06撮影)
現在の様子です。
昔の寺の建物すべて撤去されて高層アパート
(セドゥル・マンション)が建っています。一階にあるスーパーマケット(ヌリマート)で
蕎麦(ククス)を買いました。現住所:釜山広域市中区大廳洞4街80
(2010/09撮影)
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