fSvjXcAa9J3OA
Home > 釜山の街角今昔 > 中区大廳洞 > 1街

伏兵山共同墓地

 
伏兵山共同墓地

対馬藩の釜山居留地が古館(現在の水晶洞)
から草梁倭館(図の緑色)に江戸時代に移転
になると墓地として伏兵山の南側斜面が使わ
れ たようです。

明治維新後の廃藩置県で対馬藩の朝鮮との
外交権を政府直轄の外務省が把握するように
なり、朝鮮が開国して釜山居留地になると、
領事館の管轄の共同墓地(3万坪)となりました。

明治24年6月 釜山居留民団役所の管理に移転と
なり、日本居留地墓地管理規則で運営されました。

居留地に住む人が増えると市街地の拡大が 必要に
なり、明治39年峨媚山共同墓地に移転し 跡地は
市街地として整備されることになりました。

火葬場は明治37年に 大谷派本願寺釜山別院が領事館の許可を得て大新里に 作ったのが最初です。 伏兵山

釜山タワーから見た伏兵山の様子です。

墓地の移転が終わった明治40年以後は
市街地として使われましたので 墓地の
痕跡はありません。

現住所:釜山広域市中区大廳洞 1街

(2005/05撮影)

上図は環遊日記(黒田清隆)明治20年の
挿絵に着色


Home . 釜山旅行の基本情報 . 人物 . 歴史 . 乗り物 . 交通史 . 名所・旧跡 . 釜山の街角風景 . 釜山の街角今昔
. 街角今昔2 . 食べた物