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釜山公立第七尋常小学校
龍頭山公園駐車場

 
釜山公立第七尋常小学校

大正9年9月 釜山第一尋常小学校
校区を分離して龍頭山の裾に釜山公立
第七 尋常小学校が設立されました。

普通教室:12 特別教室:1
 男:353 女:295 合計648
敷地:3,570坪(大正15年の統計)
釜山公立第七国民学校

写真は理科実験教室
(昭和10年2月釜山日報より)

繁華街の中にある学校なので裕福な商人の
子弟が多く、寄付金なども多く充実した
施設がそろっていました。
釜山公立第七尋常小学校

昭和16年の学校制度改革で尋常小学校、
普通学校の名称は消えて「国民学校」に
統一されました。

釜山公立第七尋常小学校は釜山第七
公立 国民学校と改称

(昭和十七年卒業アルバムから)
釜山公立第七尋常小学校

男子算数の時間
(昭和十七年卒業アルバムから)

戦前の小学校は男女は別のクラスが普通です。
田舎で生徒数が少ない小学校は男女が1教室で
学ぶこともありました。
釜山公立第七国民学校

女子算数の時間

(昭和十七年卒業アルバムから)
釜山公立第七国民学校

運動会の様子

コンクリート3階建ての校舎になっています。

(昭和十七年卒業アルバムから)

1. 雙葉の緑いち早く 春さきがくる心もて
  立てや我が友七百人 清き希望を抱きつつ

2. 御空いろどる龍頭の 明けの光を身に浴びて
  励め我が友七百人 高き理想にあこがれつ

3. 朝な夕なに大君の 大みことのりを畏みて
  知徳を磨き体を練り やがて世に立つ日を見よや

4. 我が往く所踏む所 よしや山河の嶮なるも
  至誠の真道一筋に いざや進まんいざ共に

作詞:八波剛吉 作曲:草川宜雄
校歌資料(昭和10年2月釜山日報より)
釜山公立第七尋常小学校 釜山公立第七尋常小学校

昭和18年の釜山第七公立国民学校職員録
学校長訓導六等:永瀬勘次郎、訓導兼視学:三上建夫、訓導兼教頭:木田浩
訓導:山本達夫、金谷義人、竹内義衛、青柳信平、岡本義夫、西岡忠直、佐伯八重
織田一夫、堀真悟人、伊藤和子、金尾栄助、清水美代、金澤頼子、久保京子
大田妙子、菊村悦子、多賀千代子 釜山公立第七尋常小学校
昭和十七年卒業アルバムから、戦時中なので詰襟の官吏用の国民服をつけています。

昭和20年(1945)9月 米国との戦争に負けた日本は総帰国することになり閉校となりました。
  東光国民学校

1946年 東光国民学校として開校

写真は釜山師範学校卒業アルバムから
東光国民学校での教育実習風景
(壇紀4289年=1956年)

1996年 東光初等学校に改称
東光国民学校

1998年2/19 東光初等学校は第53回の卒業式を
最後に南一初等学校と合併「 光一初等学校」の
学校名に替わり、学校敷地は龍頭山駐車場になり
ました。

2004年、龍頭山の麓の斜面の駐車場の後ろに
東光初等学校があったことを印す記念塔が
作られました。

(2011/02撮影)
東光国民学校

記念塔の文字板です。

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現在の様子です。
道路沿いは店舗になり、後ろは龍頭山公園
駐車場になっています。

2009/02撮影)
釜山公立第七小学校

後ろ側の駐車場部分です。

住所:釜山広域市中区大廳洞1街

(2007/02撮影)

周辺の様子詳細: 落葉の大庁路1街


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