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兵庫清燧社釜山出張店

 
兵庫清燧社釜山出張店

明治のころは釜山の本町3丁目にあった
沖永商店が 双鹿印のマッチを韓国全土に
販売して いました。

その後 双鹿印のマッチは釜山・韓国で
流通しているのに沖永商店の名前が統計
から消えたので理由を探していました。

画像は釜山仕入案内(大正四年)から

日韓併合で国内流通に替わったので貿易商の
沖永商店は清燧社の釜山出張店に組織変更だと
考えています。(電話・商標が同じ)

第一次大戦までは日本はマッチの輸出が好調
でしたが戦争が終わると欧州各社が輸出を再開
各地で競合して売上は低下しました。

国内で競争が激化して統廃合が繰返され釜山も
荒波の中で翻弄されています。

大正5年(1916)清燧社と良燧合資会社が合併して、
瀧川燐寸株式会社となりました。
大正6年(1917)瀧川燐寸株式会社は鈴木商店
の燐寸部と合併して東洋燐寸株式会社が誕生。
大正7年(1918)東洋燐寸株式会社が 兵庫県の
28工場を統合し帝国燐寸株式会社を設立

大正時代に埋立新町だった現在の様子です。
兵庫清燧社釜山出張店の住所が不明なので
現在の場所の特定はできていません。

大正5年以降は合併で複雑になったのでマッチの
釜山での仕入れは双鹿麟寸釜山販売組合
まとめて行い、 各販売店に配るようになりました。

1953年の大火でこの付近は焼野が原になり、
戦前の家屋はほとんどが残っていません。

(2009/02撮影)

現住所:釜山広域市中区中央洞2街


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