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澤山兄弟商會
釜山郵便局

 
澤山兄弟商會

明治40年に佐賀県唐津出身の澤山熊次郎が
釜山に渡り個人経営の澤山商会の名で曳船、
艀運送を始めました。

大正6年から内地-朝鮮間の船車連絡輸送を
開始

大正9年 澤山熊次郎死亡(64歳)

社屋の前で 路面電車の線路がカーブしているので
大正6年以前の撮影です。

屋根の角の半円の飾りが特徴で風景写真などで
見分けるポイントになります。
大正11年2月 組織変更して株式会社澤山兄弟商會(資本金:20万円)を釜山で設立。

社長:澤山精八郎(長崎)
取締役:澤山寅彦(釜山)、澤山市松(長崎)、澤山昇吉(長崎)、辻青木(大連)
監査役:澤山福彌太(長崎)、澤山寛(佐賀)、野原周造(長崎)

大連、門司、神戸、大阪に出張所を設ける

澤山熊次郎亡き後の釜山の実務は澤山喜多路が継ぎ、澤山寅彦、澤山福彌太(熊次郎の子)が
専務取締役となり行った。 澤山兄弟商會

これは昭和3年から9年ごろまでの写真です。

半円の飾りで澤山兄弟商會の建物だと簡単に
お分かりだと思います。

後ろのコンクリートの建物は博文館(本屋)です。

旧住所:釜山府大倉町3丁目9
大倉通り

前の写真は分かりやすくする為に一部を拡大
しましたが 絵葉書の全体をご覧下さい。

澤山兄弟商會の向かい側が洋館建ての
釜山郵便局です。

この大倉通りの新旧の様子も合わせて
ご覧下さい
昭和5年 陸送第一次合同で澤山兄弟商会陸送部を朝鮮運送に譲渡

昭和18年8月 朝鮮総督府の指導で関釜連絡船の積卸の業務を 朝鮮運送(社長:村上儀一)に 譲渡。
朝鮮運送は後に朝鮮海陸運輸に改称
(譲渡資産:西大新町三丁目:社宅・作業員宿舎倉庫、 大邱麻錦町:事務所・倉庫)

昭和20年9月 敗戦により すべての資産を残して帰国、組織は消滅
釜山本店:釜山府大倉町三丁目9
大連出張所:満州国大連市須磨町6
営口出張所:満州国営口市入船街60番地大連汽船内
普蘭店出張所:満州国普蘭店管内老爺会三道湾
木浦出張所:不明 鎮南浦出張所:不明 清津出張所:清津府北星町22番地
東京出張所:東京都麹町区丸の内2丁目18岸本ビル
大阪出張所:大阪市西区川口町27番地
神戸出張所:神戸市明石町31-2日下部ビル
門司出張所:門司市東本町一丁目
最終資本金:100万円(50%は澤山汽船、残りは澤山一族が分散して所有)

1953年の大火でこの付近は焼野が原になり、
澤山兄弟商會の建物も焼失しました。

現在は釜山郵便局が建っています。
建物の角付近に澤山兄弟商会の建物が
ありました。

(2004/12撮影)


船車連絡輸送
汽車と関釜連絡船を乗り継いで朝鮮各地や満州に行く乗客の手荷物を預り目的地まで
「通し証券」を使って、各地の連絡駅経由で届ける。
客は大きな旅具を乗換えの度に自分で持って移動する必要が無く便利になる。
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