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大阪商船釜山支店
韓進重工ビル
最初の 釜山港琴平町にあった木造社屋から
新しく埋立して出来た釜山府高島町に 洋館立て
に改築された時期の大阪商船釜山支店です。朝鮮での支店は京城に移転して、釜山は出張所に
代わりました。仁川にも出張所がありました。写真:社史 大阪商船五十年史より
大阪商船は大阪にあった数十の船主が合同し
90余隻の汽船を集め、明治17年5月に資本金
百二十万円で設立されました。順調に発展し昭和10年には資本金6,250万円に
なり支店は24箇所、出張所は数10に達しました。当時の住所は釜山府大倉町四丁目22
現在の様子です。
税関ビル前の歩道から韓進重工ビルを見た所です。
韓進重工ビルから信号で停車している乗用車
の場所付近に昔の大阪商船釜山出張所の建物が
ありました。影島に向かう大きな道路を作る為に向かいにあった
レンガ作りの釜山税関ビルといっしょに撤去されて
道路に なってしまったようです。
この新聞広告は明治36年の大阪毎日新聞です。
外国航路は外国船籍の傭船が多いです。
次第に日本船籍の船が増えていく様子が
広告を見ていると分かり興味深いものです。釜山・仁川を経由して鎮南浦へ「漢城号」と
「大礼丸」が2隻あります。
翌年には倍の4隻体制になっています。
1964年「三井船舶」と合併し「大阪商船三井船舶」に
なりました。1999年ナビックスラインと合併した時から短い社名の
「 商船三井」が現在の社名です。
昔の地名で面白いのが見えます。「日英丸」の最終港が「打狗」になっています。
これは台湾が日本領土になった時、犬を叩くとはあんまりだとして 音は同じで
文字を「高雄」に代えたようです。
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