Home > 釜山の街角今昔 > 中区中央洞 > 4街(高島町/大倉町4丁目))
鳴戸旅館
明治11年大阪に生まれた鳴戸長蔵の先代が
明治23年 渡鮮、釜山の南濱町で鳴戸楼と
いう屋号の料亭経営を始めました。大火で焼失したあと幸町に新築したが 釜山
停車場 ができると駅前が有望だとして明治
41年移転しました。以後 釜山駅前の老舗旅館として繁盛しました。
昭和14年の釜山駅前旅館街地図
角の木造2階建ての建物が鳴戸旅館です。
客室数19室で 荒井旅館に次ぐ 釜山で2番目の
規模の旅館です。大正3年 温泉地の東莱に本店を移転、ここは
鳴戸 旅館駅前支店になりました。昭和7年 東莱温泉の鳴戸旅館を新築して東莱で
1番の規模になりました。
昭和9年の釜山愛国婦人会大会にご出席の皇族
東伏見宮妃殿下の宿泊先として指名されました。「釜山・釜山港130年」釜山広域市中区発行
125頁の写真の一部を拡大
米国との戦争に敗れた日本は総帰国命令を受け
すべての資産を残して引揚げました。残った鳴戸旅館の施設は[国際ホテル]の名となり
韓国人が旅館を使った様子が1950年のデモの記録
写真の 背景として残っています。この写真の撮影された3年後の 1953年の大火で
大倉町4丁目付近は すべて焼けて、区画整理を
やり直したのです。「釜山・釜山港130年」釜山広域市中区発行
162頁の写真の一部を拡大
現在の様子です。
正面の足場が組まれているビルの付近に
鳴戸旅館がありました。道路が拡張され区画整理もされたので正確な
ものではなく この付近だと思ってください。釜山地下鉄1号線の 中央洞駅10番出口横で
(2008/03撮影)
Home . 釜山旅行の基本情報 . 人物 . 歴史 . 乗り物 . 交通史 . 名所・旧跡 . 釜山の街角風景
. 釜山の街角今昔 . 街角今昔2 . 食べた物 . 昔の生活と文化 . 釜山近代史年表 . 近代史年号一覧