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三中井百貨店釜山支店

 
三中井百貨店

三中井百貨店は釜山で最初の本格的な百貨店として
生まれ、多くの釜山府民の注目の的でした。

地方から修学旅行で小中学校の生徒達が釜山に来ると
明治時代に出来たレンガの重厚な建築物の 釜山駅
釜山税関とならんで釜山の有名な建物として
三中井百貨店を見学し、文化の粋を感じたのです。

最初 滋賀県から小さな呉服店で始まった三中井は
日本人の人口増加に着物の需要を見込んで呉服店の
トップ企業になりました。営業品目を増やし百貨店と
しても成功したのです。

京城本店を始め朝鮮各地の都市に進出し商業 活動の
中心的な存在でした。 (大邱支店

さらに満州、中国にも支店を展開して拡大して
行きましたが 日本の敗戦でいっきに崩壊し
三中井百貨店は消えてしまいました。

現在 子孫は滋賀県で三中井商店は小さな店で
がんばっているそうです。

旧住所は釜山府大橋通2丁目39
三中井百貨店

写真は1階のエレベータ部分です。

三中井百貨店が出来るまで釜山や周辺都市には
高層建物が無かったので エレベーターが設置
された釜山で最初の建物です。

これを見学に地方から出てくる人達も多かった
と釜山の老人が話してくれました。

写真3点は絵葉書から
三中井百貨店

写真は最上階の5階にあった大食堂です。

釜山にお住まいだったN様より食堂の話

「家族で食堂に行ったけど皆はご馳走を
食べていた。私は扁桃腺が腫れて食べら
れず悲しかった。それでホットケーキを
食べました。」
ホットケーキもメニューにあったようです。
百貨店を作る前でも三中井呉服店は釜山の繁華街 弁天町に3階建てのコンクリートの大きな
建物で中心的な 存在でした。

他に縫製工場や別館の展示イベント場もあって釜山の呉服店の トップでした。 三中井百貨店

日本の敗戦で釜山に進駐してきた米軍は三中井
百貨店を接収し「第五陸軍病院」の名称で使用
していました。

1954年 釜山港より米軍が撮影
(画像は金漢根さまより)
三中井百貨店 朝鮮戦争が終わると米軍は撤退を始め、不用に
なった 病院の建物は韓国政府に引き渡されました。

写真は1965年9月4日 米国から建物の引受を祝う
パレードです。
後ろの建物に赤十字のマークが見えます。

写真:釜山直轄市広報課
三中井百貨店

1970年ごろに2階が増築され7階建てになりました。

釜山商工会議所の産業奨励館として物産展示会場に
使われたようです。

写真に1997年開かれた釜山東アジア競技大会の
看板があるので最後のころの三中井ビルです。

写真で見る中区半世紀44頁から引用
三中井百貨店跡

釜山府庁が移転した後 付近一帯を再開発する為
市庁の建物だけではなく昔の釜山府営中央市場
三中井百貨店だった建物など付近の全てを
撤去して 空地にしました。

現住所:釜山広域市中区中央洞7街
(2005年5月撮影)

2009/12/17 三中井百貨店のあった場所に
ロッテ百貨店光復店が開業しました。

(2010/01撮影)


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