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越田商店
(こしだ)
東方ビル
明治22年 石川県小松町濱田町で生まれた
越田市太郎は上京して東京高等商業に進み
卒業後の明治44年三井物産に入りました。三井物産京城支店の勤務を命じられ、大正3年
三井物産釜山出張所に転勤になりました。大正8年 独立、商社の経験を生かして石炭商の
越田商店を釜山府高島町7番地で開業しました。大正10年11月 「合資会社越田商店」と法人化
資本金5万円
大阪加島銀行に勤めていた実弟の西田小太郎を
釜山に呼んで共同経営にしました。写真は新釜山大観(昭和9年)より
果川市の太虚さま提供
昭和2年の町名改定で高島町から大倉町4丁目25番地に住所が替わりました。昭和5年米国テキサス社の代理店となり石油販売業を開始
ww2末期の昭和20年の大火事?で越田商店の建物は消えています。
現在の様子です。
地下鉄1号線 中央洞駅8番出口付近です。
釜山広域市中区中央洞4街25中央の高層ビル(東方ビル)と後ろのビル(1F釜山銀行)の間に
に越田商店がありました。1953年の大火で付近一帯が燃え、区画整理で道路も付け直され
たので正確な位置ではなく推定しかできない。(2009/08撮影)
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