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博文堂書店
博文堂書店の店主 吉田市次郎は明治13年
新潟県蒲原郡三原村で 生また。明治37年 25歳の時 渡鮮、大邱の町田氏を
頼り、朝鮮の事情を学んだ。写真は吉田市次郎と夫人の時子と4人の子息
画像は「朝鮮満蒙に於ける北陸人道史」
(昭和2年)157頁より
明治38年 密陽で雑貨店を開いたけれど田舎では大成できないと覚り、上京して恩師の石黒忠直を
訪ね、友人から資金を借りることにした。明治39年に石黒子爵と大橋新太郎(東京博文館)の指導で釜山府大廳町で吉田博文堂という書店を開く
ことができた。画像左側の木造2階建て店舗に吉田博文堂の看板が見える
写真撮影年度は明治39年と分かる
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明治40年に出版された「在韓實業家名鑑」36頁には店舗名が釜山港大廳町「博文堂」になっている。
明治40年に商号の変更があったことがわかる。最初の店舗である密陽府西門内では「吉田薬房」と称した支店になっている。
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大正3年大倉町3丁目にコンクリートのビルを新築し、楽器や運動用具の販売も兼ねる店舗を開いた。
国定教科書の販売所として南朝鮮全域に販売をしていた。
旧住所:釜山府大倉町3丁目8
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大正時代の大倉通を見ると尖がり屋根のある博文堂の建物を見ることができる。
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左の洋館が 釜山郵便局、 中央の路面電車の線路がある道路が「大倉通」。
電車は昭和9年にこの「大倉通」から「大橋通」に移転したので撮影年は昭和3年から9年の間郵便局の向かい側のコンクリート4階建ての建物が博文堂。
昭和になると博文堂の尖がり屋根が無くなるので時代特定の目安になる。
この大倉通りの新旧の様子
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正面から見た博文堂書店、看板が博文堂から博文堂書店に代わっている。右側が大正に作られた建物のリフォーム、左側が昭和に新築したコンクリート4階建て。
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昭和11年の釜山住所地図の大倉町、 博文堂書店を緑の円で囲った
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敗戦の日本人引き上げで残った建物は韓国人が使ったが、 1953年の大火でこの付近も全焼し、
博文堂の建物も写真のように焼けた。コンクリート部分は黒く焦げて残ってるが大正時代の建物は屋根や構造材が木造
なので完全に消えている。後ろに見える白亜の洋館であった釜山郵便局は壁だけが残っている
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その後すべて取り壊され区画整理が行われた。
博文堂のあった場所に現在、 釜山郵便局が建っている。
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釜山タワーから撮影(2017/11)
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