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合名会社釜山精米所

 
釜山精米所

合名会社釜山精米所は幸町にありました。

五島甚吉大池忠助中村俊松の3人が
出資して 作った合名会社で五島誠助が専任
担当で 働いていました。

朝早くから煙が上がり工場の稼動が釜山の
時計代わりだったと記された記事があります。

朝鮮米は石が多く混ざっているの選別の為の
女性工員が多く働いました。

朝鮮では籾の乾燥は道路や広場に広げて行う
習慣があり、そこで石が混ざるようです。
参考資料:福岡発 コリアフリークなBlog

釜山精米所

写真のように米国製の機械を4台そろえ予備に
1台の合計5台がありました。

写真は五島甚吉

水車など杵搗の精米の時は石粉を混ぜるのが
普通ですが、米国製の精米機は籾同士をすり
合わせて精米するので糠に磨石が混ざらない
ので品質の良い糠になるようです。

業務の主は委託搗きで大口需要が多く、小売は
1俵 以上の委託しか受けてないようです。
釜山精米所

五島甚吉が隠居した後は三男の五島誠助が
継ぎました。

石川精米所の養子で跡取りの石川侃一が
支配人をやって いました。

住所:釜山府幸町2丁目17
現住所:釜山広域市中区昌善洞2街17


釜山精米所

昭和5年の職業地図です。

釜山精米所は敷地600坪で建坪300坪とあるので
かなり広い工場だったようです。

工場はそのままで昭和7年に本社を釜山府
大倉町 4-15に移転して営業をしています。
釜山広域市中区昌善洞2街

現在の様子です。

釜山広域市中区昌善洞2街となっています。

(2008/05撮影)
釜山広域市中区昌善洞2街

(2008/05撮影)


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