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ミカド食堂
(西洋料理店)
釜山の幸町一丁目のミカド食堂は釜山の代表的
西洋料理店として有名で官庁、会社、銀行など
各方面の指定を受けていました。大阪西区の出身の和田奈良作は21歳の時、
ドイツ人のヘルマン・クラマ氏の伴われて
欧米に渡り各国料理を学び帰朝しました。東京の女子学校の講師をしている時、料理
講習会の目的で渡鮮、馬山の古川旅館で
滞在していました。明治41年に大韓帝国皇帝の地方巡啓の際に
馬山で選ばれて食膳を調進したことで
有名になりました。明治42年 萩野商店の萩野彌左衛門の紹介により
埋立新町で開業しました。
人気はありましたが出資金の問題で閉店になり
ました。写真は新釜山大観(昭和9年)より
果川市の太虚さま提供
大正元年に晋州で晋州倶楽部を創設して
各階級の婦人達に料理を教えました。大正4年 再度 釜山に戻り幸町一丁目で
ミカド食堂を開店しました。食品部門も充実していたので多くの客を掴んで
いたと聞いています。大正4年元旦の釜山日報に載った広告です。
角の紫のテント看板のある美容室(ファミジュ・ヘア)
から奥の[seek]の看板のある建物の場所には
戦前 西洋料理の老舗ミカド食堂の看板が
あがって いました。朝の通学時間帯なので露天の店が無いですが
午後になると賑やかな通りに変身します。現住所:釜山広域市中区昌善洞1街7
(2006/9撮影)
視点を右に移動します。
(2006/9撮影)
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