木浦の歴史-1
開港したばかりの明治の頃の木浦の地図です。
儒達山には虎が住んでいると言われる荒れた
土地が広がっていました。木浦台と呼ばれる小山の麓の側の木浦鎮の中に
小さな集落があり、周辺を含めて40戸くらいの
寒村だったのです。それ以前は木浦鎮として城壁に囲まれていた
ようですが開港時には北側の城壁のみが残って
いるだけで他は崩れて無くなっていたと記録に
あります。李氏朝鮮の4代目 世宗のころ(1439年)に
「木浦萬戸鎮」が設置され 城壁も作ったようです。
赤い線の内側が開港した時 外国人居留地と
して韓国政府から指定された地域です。丘陵と水田、干潟、荒地のみでわずかな集落に
宿を求める所から始まります。韓国政府から入札で得た荒地を整地してバラックを
建てたのが明治の初期の開港期です。入札で得た干潟を埋め、水田に盛地をして
しだいに土地が広がってきました。ここに家を建て、道を作り、街を作ったのです。
明治31年の木浦港です。旧町名地図を比較すると松島までの
市街が埋立でできた当時の様子が分かります。木浦台の麓から松島まで干潟の海だったのです
。
儒達山から見た木浦台と港です。
木浦台と海との間に昔の集落があったのです。
木浦は日本の単独租界ではなく外国人居留地だった
ので英国領事館と露西亜領事館もありました。しかし英露の商人は仁川に居て木浦には進出
しなかったので日本人と少数の清国人だけが
木浦に住んだのです
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