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朝鮮銀行群山支店

朝鮮銀行群山支店

朝鮮銀行は明治44年に韓国銀行から名前を代えて
朝鮮の中央銀行として紙幣を発行していました。

群山支店も京城本店と同時に開業です。

大正12年(1923)群山で最大の建物ができました。
2階建てですが4階建て以上の高さがあります。

1950年6月朝鮮銀行は閉鎖し韓国銀行として発足
朝鮮銀行群山支店

戦後 韓一銀行群山支店として使われた
そうですが この付近の旧本町は 日本人が
引き上げた後は寂れたので 撤退し その後
いろいろな店舗として使用されたようです。

まもなく閉店し 現在は廃墟になっていて
荒れたまま放置されています。
朝鮮銀行群山支店

2階に上がる階段です。

入口のドアは取れて無くなっています。
怖いので登らないで下から撮りました。
朝鮮銀行群山支店

建物の前にある石碑です。
(クリックで拡大)

群山出身の作家が書いた「濁流」という小説で
情景として描かれている銀行はここですと
文学の説明です。

石碑がかかり痛んでいて乱暴に扱われたことが
わかります。建物自体の説明が無いのも少し寂しい
朝鮮銀行群山支店

一階の様子です。

内部は瓦礫が散らばり危険な様子なので
入らないで破壊された出入口から撮りました。

ナイトクラブ「プレイボーイ」として開業していた
痕跡が看板に残っているだけです
朝鮮銀行群山支店

全体の様子です。

朝鮮銀行群山支店の記録によると
8月15日の天皇陛下の玉音放送があったことと
警察と守備隊から群山に敵の上陸の恐れがある
嘘の連絡があり、守備隊・警察署員とその家族が
真っ先にトラックで逃げ、陸軍の逃げ足の早い事に
呆れ、日本人居留民はみな憤慨したそうです。

銀行員は預金の引き出し、内地送金依頼の仕事で
忙しく逃げる事は不可能だったそうです。
朝鮮銀行群山支店

裏手のようすです。

10月下旬に米軍が群山に進駐したので 日本人
職員と朝鮮人職員が並んで玄関で最後の記念
撮影をした そうです。

米軍の指示で11月に業務を朝鮮人職員に引継を
始め、12月15日に朝鮮人職員の見送りを受け
群山を離れたそうです。


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