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元山松涛園の貸別荘と京日テント村

(現在 金正日の別荘地があるところの昔の様子)

元山松涛園 松涛園は戦前から、海水浴場地、保養地として
有名でした。

海岸近くに貸し別荘があり、戸数は覚えていま
せんが、夏休みになると主にソウル方面からの
避暑客で 賑わったものです。

しかし「別荘」と言っても、多くは2Kで、ガス・
水道・風呂場はありませんでした。

水は別荘地に数箇所ある水道に汲みに行かな
ければならないし、燃料は落ちている木片や
松毬を使用していました。

近くにちょっとした商店街、レストラン、銭湯などがありました。

ベビーゴルフ場もあり、よく遊びに行きました。本物のゴルフ場は少し離れたとろこにありました。

海岸は別荘地から数分、永興湾の湾内は遠浅で海水浴に適していましたし、貸しボート屋もありました。

また、別荘の行事として、湾内での地引網、元山との連絡船を借りての花火大会の見物、また、船を借り切って葛麻半島に渡り、半島を歩いて横断し、日本海側にでて、アサリ取りをしました。

泥の中で手で拾う西海岸でのアサリ取りとは違って、水深50cmくらいのところで、足の指を使って探してとっていました。

海水が湾内と比べると格段に綺麗なので、とったアサリをナイフを使ってひらき、そのまま生で食べたものです。

この別荘地から歩いて数分のところにキャンプ用地があり、毎年夏には京城日報の京日テント村が開かれていました。

ここでは参加者が自分でテントを張り、使っていなかった水道の栓をあけていましたが、初め出てくるのは泥水でした。

このテント村では、毎晩演芸会が開かれ、テントの番号順に何か出し物をやらなくてはなりません。

この演芸会を見に行くのが我々別荘の住民の楽しみでした。

夜10時過ぎまで続き、「ここは京日テント村、ホイホイ・・・」で終わる歌の合唱で終りでした。

このテント村にも、年1度だけ悲劇の日がありました。

台風のときはテント内にいる事ができず、それも夜間に、近くの鉄道局の施設に避難しなければなりませんでした。



京城で少年時代を過ごしたASさまから頂いたレポートです。
写真は北陸道人史より
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