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江景の船舶出入量

江景閘門付近に停泊中の荷役船です。
最初は帆船が主体でした、昭和になると
動力船の割合が増えています。

河川交通の要だった江景は全羅北道で
収穫された米や農産物を郡山に運び、帰り
は海産物を満載して内陸部に運んでいました。

米を日本に移出した郡山の発展と連動して江景も
人や荷物の動きが活発になったのです。
グラフは江景の船舶出入量 「江景漁協史」1970発行45頁(論山市史289頁から引用)

1905年の統監府ができた前後から伸び始め1910年の日韓合邦で急激に伸びています。

1935年をピークに 1940年の日米開戦ですべての品物の移動が軍の規制となり、米は配給制度と
なって日本への 自由な販売・移動が難しくなったからかもしれません。

戦後 独立した韓国は日本に米を売ることが出来なくなり、米の郡山と呼ばれた郡山は衰退し
郡山に米を運んだ河川交通の要だった江景も仕事を失いました。

朝鮮戦争の間はまだ水運の需要があったようですが 1955年以後はさらに急激に落ちています。
自動車社会になったことが江景の河川交通のとどめに なったのでしょう。
江景の船舶出入量

江景から郡山に多くの連絡船があって人々の往来も盛んだったと聞いていましたが
現在はひとつも運行されていません。

観光用の帆船でもあれば乗ってみたいものです。


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