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釜山の大火事
(瀛州洞)社屋が焼けたので東光洞の大韓製糸会社の建物で11月29日に発行した釜山日報です。
昭和28年(1953)の11月27日の深夜に釜山で
最大の火事がおこりました。11時間半も燃え続け、釜山駅周辺を完全に
焼き尽くしたのです。朝鮮戦争が終了して、やっと 復興を始めようと
した時に発生した不幸な災害です。釜山駅、 釜山公会堂、放送局、 釜山郵便局
商工奨励館、釜山日報社、民主新報社など
多くの重要な建物が消失しました。
駅が近いので大韓国民航空社を始め多くの
運送会社や旅館・ホテルが被災し、全部で
約1万4千の家屋が消えました。共産ゲリラの放火説から難民の不審火説
まで いろいろな話がたくさんあります。
確かな原因は分かっていません。
当時の釜山市長の孫さんの話で、朝鮮戦争の
戦火を避けて集まってきた数百万の避難民たちが
建てた掘立て小屋が密集していたことが被害を
大きくした原因だと禍根を述べています。焼け落ちて、外壁のみ残った釜山郵便局の姿です。
灰燼の跡から釜山の復興が始まります。
しかし不幸な大火は まだまだ何度も発生します。
新聞の年号が檀紀4286年と記されています。
また大陰暦と干支も併記されています。
韓国が西暦を採用するのは1962年1月からです
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