fSvjXcAa9J3OA
朝鮮事変で戦死者追加 

焼ける前の京城公使館 明治15年(1882)の壬午軍乱で公使館が暴徒に焼かれ、
戦死者が でました。明治17年(1884)に新築した
ばかりの公使館が再度 焼討に会う事件が 起きました。

朝鮮事変(甲申事変)と呼ばれる独立派の金玉均
クーデターを 事大派の要請で出動した清国軍が出動
改革派を制圧したのです。

クーデターを応援していた日本公使館も襲撃で焼かれ
竹添公使らは戦いながら仁川まで逃げました。
その時、京城で商売をしていた民間人も清国軍に襲われ
怪我をしたり殺されたりしました。


これを調べていると明治18年にも新たな戦死者が出てきたのです。

下記はアジア歴史資料センター(レファレンスコード:A03023658800)からの
資料です。これをご覧ください。

京城事変(壬午軍乱) 故磯林歩兵大尉外五名靖国神社ヘ合祀
ノ儀ニ付上申
昨年朝鮮国京城事変ノ節戦死ヲ遂ケ候
磯林歩兵大尉外五名今般招魂ノ祭典
被相行猶永ク靖国神社ヘ合祀相成候様
致度別紙人名表 此如及上申候也
明治十八年四月九日 陸軍卿伯爵 大山巖
太政大臣公爵三條實美殿
追テ本文御決議ノ上ハ来ル五月五日例大祭ノ
節併テ挙行度将ス足迄種々ノ名義
ヲ以テ一時ノ雇役ニ係ル者ノ如キモ合祀スル例ニ
有之候得共猶熟考スルニ甚ダ妥当ナラザル様
被存候間自今合祀不相成方可然既ニ此度
モ二三名有之候得共所省ニ申候此如申
添候也
上申趣聞届候事
明治十八年四月二十三日
朝鮮事変戦死者
歩兵大尉 磯林真三
歩兵曹長 飯島碩太郎
歩兵一等卒 藤代市太郎
同 目黒多利吉
語学生徒 赤羽平太郎
同 上野茂一郎

要約すると
6人の新たな戦死者の認定を求められたが妥当ではないとしています。

京城事変(壬午軍乱) この間のどのような事情があったのか
分かりませんが
明治19年の救恤金交付の表では
下記の3人は戦死になっています。

歩兵曹長 飯島碩太郎
歩兵一等 卒藤代市太郎
同 目黒多利吉

アジア歴史資料センター
(レファレンスコード:C03030032300)より

戦死とされない基準については調査中です。
2年前の壬午軍乱とは異なり、厳しい認定になっています。

日本人の戦死、惨死一覧


Home . 歴史