朝鮮での戦前の学校制度の中で日本では使われない「普通学校」という制度が
ありました。 釜山の学校一覧(戦前)これは 日本語を常用としない朝鮮の児童に小学校教育をするための学校の名称です。
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明治の始めごろの朝鮮では義務教育制度は
無く、 身分階級が中人以上の人たちの子弟が
筆房や書房と呼ばれる塾で漢字や習字、
論語などを学んでいました。これを出ると地方ごとにある 郷校で科挙の
受験勉強、最後は京城にある最高学府の
成均館で学び科挙を目指し、官吏に登用
されることが目的でした。
朝鮮の近代化のためには支配階級のみが学問をする科挙制度ではなく
国民が学べる学校制度を 伊藤博文は朝鮮政府に提案しました。
明治27年に科挙は廃止になり 学校制度ができました。しかし 学校は京城に
数校できただけで従来の書房と郷校での漢文の教育が中心でした。
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明治39年 統監府ができて韓国を保護下に置くと、
国民のすべてに平等に学問ができるように教育令を
施行、教育のため全国に普通学校を作りました。普通学校の修業年限は四年として、地方によって
3年以内の 補習科を置く事もありました。満8歳以上12歳以下を原則としていましたが
当分の間14歳までは許可する方針で進め
られました。
写真は釜山公立普通学校(明治42年設立)
(佐賀県立名護屋城博物館所蔵)
清国の支配下にあった当時の朝鮮の学問は
漢文が主流であったのは当然です。日清戦争で日本が勝利して清国に朝鮮の独立を
認めさせる 下関条約を締結した後は教養としての
漢文は必修で残りますが ハングルが一般化する
事になり、 そして日本語が 新たに必修に加わる
事になったのです。写真は普通学校2学年の書き方教科書
尋常小学校(日本人学校)では教科書は有料で販売していました。朝鮮人が
普通学校で使う教科書は無料で貸す制度でしたが、朝鮮人の金持ちは買うことも
できました。尋常小学校に入学した朝鮮人には無料貸与制度は適応されずに日本人と同じく
教科書は買うことになっていました。
尋常小学校と普通学校と分かれていたのが廃止されて統一されたとき
教科書はすべて日本人・朝鮮人の区別は無く有料で統一されました。朝鮮人向け学校制度 明治39年教育令(伊藤統監)
予=予科 実業学校は速習科として2年もありました。
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 補習科 普通学校 高等学校 予 普通学校 女高本科 予 普通学校 師範学校 普通学校 実業学校 普通学校学年別教科課程及毎週教授時間表(大正4年)
朝鮮人向け学校制度 大正8年の教育令改定(斉藤総督)
大正11年の教育令改定(斉藤総督)で日本人向けと朝鮮人向けの学校制度での補習科を卒業すると内地の高等学校、専門学校の受験資格ができました。
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 補習科 普通学校 高等学校 補習 普通学校 女高本科 補習 普通学校 師範学校 普通学校 実業学校
修学年数の差はなくなりました。そして希望があれば どの学校にも入学を許可する事になりました。
(日本語の使える朝鮮の児童は釜山の尋常小学校や内地の学校に入ることができる)日本人向け学校制度
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 尋常小学校 高等科 尋常小学校 中学校 尋常小学校 女子高等学校 尋常小学校 高等科 師範学校 予科 尋常小学校 実業学校 尋常小学校 高等科 実業学校 昭和13年の教育令改定で4月1日から普通学校の名称は消えてすべて 尋常小学校に統一した
名前になりました。昭和16年の学校制度改革で尋常小学校、高等小学校の名称は「国民学校」と改称になり
ました。朝鮮児童の就学率は年々急激に上昇していましたが 日本人学校である尋常小学校は
義務教育であるのに対して朝鮮児童に対しての義務教育はまだ施行されていませんでした。韓国で小学校(国民学校)が義務教育になるのは戦後です。
中学校が義務教育になったのは2002年で、最近の事です。
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