双子美人のマークの「クラブ洗粉本店」の広告を
ご紹介します。
共通しているのが 伝統的な韓服姿の女性たちの
日常を描いたイラストです。
ハングルを多用した見出しと合わせて、飾らない
姿が強い印象を見る人に与えるのです。
やはり「西のクラブ、東のレート」と言われ 2大
メーカーの関西系だとすれば庶民派のイラストが
納得がいくような気がします。
明治39年 に「クラブ洗粉」発売して爆発的人気を
得たので社名の「中山太陽堂」ではなくクラブ洗粉本店と
出すところにも関西商人の姿勢を見ることができます
中山太陽堂は明治36年神戸で化粧品雑貨卸業として
創業されました。
創業者の中山太−は山口県滝部村の出身です。
弟の中山豊三と連名で故郷の学校に贈った大正時代の
ルネッサンス様式洋館は現在
下関民俗歴史
博物館
となって公開されています。
東亜日報:昭和3年11月16日より
朝鮮市場での化粧品・石鹸メーカの広告の姿勢を
見ることで当時の様子を いっしょの思い浮かべ
楽しんでください。
花王石鹸、
レート石鹸、
牛乳石鹸、
御園化粧品などの
ライバルたちと宣伝合戦が海外でも熱く繰り広げられた
様子は興味深いものです。
釜山では「丸百クラブ化粧品販売梶vが大廳町1丁目で
販売していました。
東亜日報:昭和3年11月28日より
もっと詳しく見たい方やハングルの学習者のために
最初の2枚は画像をクリックすると拡大してご覧に
なれます。お楽しみください。
東亜日報:昭和3年11月27日より
最後は同社の双子製品のカテイ石鹸です。
母子の抱き合った姿のマークが特徴です。
昭和29年(1954) クラブの中山太陽堂、平尾賛平商店のレート化粧品が
会社更生法申請して整理に入りました。
中山太陽堂はクラブコスメチックスがすべてを引き継いで再建しました。
社名はクラブコスメチックスに代わりましたがマークは同じです。
カラーで鮮やかになった現在の双子美人の姿と昭和初期の
ここのイラストを比べて楽しむのも良いでしょう。
現在のクラブコスメチックスTOPぺーじです。
東亜日報:昭和3年11月22日より
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