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慶尚南道庁
東亜大学博物館

釜山港から山手の方向に行く大庁路の奥に
東亜大学富平洞キャンパスがあります。
大学構内に使われていない古いレンガの
建物があり、これが 日本統治時代の慶尚
南道庁の庁舎でした。

この建物は最初は 釜山府立病院として建築
大正12年 釜山府中島町に敷地8700坪、
赤レンガ2階建ての洋館建物384坪が完成
しました。

(2004/09撮影)

昭和11年の釜山道路地図(右が北)です。

正面の部分と両脇の部分と付属建物での
道庁の様子が分かります。

赤い線は電車路線です。

釜山府立病院として移転準備中に慶尚南道の
道庁が晋州から釜山に来る事が決まり急遽
道庁の庁舎に当てる事になりました。

大正14年4月17日道庁が移転して来ました。

1946年 釜山を占領した米軍が作った地図

増築されて「日」の字型になっています。


google-mapで見た道庁です。

現在は取り壊されて新築されていますが当時の
状態を見ることができます。

この道庁の建物は朝鮮戦争当時は臨時首都庁舎と
して使われ ました。

その後、道庁にもどり、道庁が昌原市に移転した後は
山地方法院及び釜山地方検察庁本館になり
裁判所関係施設が全部移転したので 2002年に東亜
大学に売却され富民キャンパスとして修復 されることに
なりました。

現在は釜山臨時首都政府庁 記念館として修復工事
行われていて もうすぐ完成です。
修復工事とは言っても外壁だけを残して 残りは全て
新築なので修復とは言えない ような気もします。

近くにある旧慶尚南道庁長官公舎は 朝鮮戦争の時、
大統領官邸として使われたので 現在 臨時首都
記念館
として公開されています。

(2004/09撮影)

背後から撮った写真です。

右手の屋根の上に見える建物が 東亜大学ビルです。

(2004/09撮影)

東亜大学ビルの方から撮って見ました。

奥の山は巌光山

慶尚南道庁舎の横に 日本式道場「 武徳殿」が
建っていたようですが 撤去されました。

(2004/09撮影)

入口は鎖で封鎖されていましたが カメラを
入れるくらいの隙間があったので手だけ入れて
内部を撮って見ました。

(2004/09撮影)

現在の様子です。

2010年末 東亜大学の九徳キャンパス内にあった
博物館がここに移転しました。

日曜・公休を除く毎日見学する事が出来ます。
入場無料

内部は撮影禁止なので写真はありません。

(2011/02撮影)


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