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群集に撲殺された総理大臣 金弘集

(1842-1896)

金弘集は開港になった江華島条約締結で日本と交渉したころから 数月の休養期間の除き、殉職まで行政の責任者として重職にいました。

彼は朝鮮を近代化することを考えていましたが  金玉均のように過激な開化主義では なく穏健な方法での開化を目指していました。

明治27年(1894)京城駐剳公使の大鳥圭介日清戦争を有利にするため大院君を担いでクーデター政権を立てました。

大院君から総理大臣を命じられた金弘集は近代化を目的とする日本の意向を大幅に取り入れた「甲午更張」と呼ばれる改革案を実行に移しました。


制度改革を簡単に要約すると下記になります。

官制を宮内と議政(内閣)8省(内務、外務、度支部、軍務、法務、学務、工務、農商務)にする。

身分制度の廃止(両班、中人、平民、賤民)、奴婢と呼ばれる奴隷開放

早婚禁止(16歳以上)、寡婦の再婚許可、嫡出と庶子の差別撤廃、科挙の廃止

現在の感覚では当然の事ですが 当時の社会制度を破壊するものとして 攻撃の目標にされてしまいました。
政権を掌握した大院君も本来が保守派なので改革が失敗することを望んだようです。

明治28年(1895)「乙未事変」と呼ばれる閔妃暗殺で宮廷防御に疑問が出た王(高宗)は宮廷を出て露西亜
公使館内に移り、そこから露西亜の指導で政治を行い、各種命令を出しました。 (我館播遷)

王が命令したのは日本の意図する大韓帝国成立と近代化改革案を進めた金弘集と閣僚の撲殺です。
改革を嫌がる群集は王宮の門の前にいた総理大臣を原型が判らなくなるまで叩いたのです。

露西亜は無料で王を保護したのではありません。
王は代償として鉱山の発掘権や鴨緑江の森林伐採権などを露西亜に提供したようです。


注:度支部(たくしぶ)は後に財務局に名称が替わました。
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