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金智秦

 (シルク王と呼ばれた韓国の財閥の一人)

金智泰(キム・ジテ)(1908〜1982)

 金智泰は明治41年(1908)釜山で生まれ、東莱郡西面に
できたばかりの釜山第二公立商業高校を 卒業し、東洋拓殖
株式会社に入り経営の基礎を学びました。

病気で東洋拓殖を辞めた後、いろいろな事業を始めたようです。
詳しい事は不明。

米国との戦争に敗れた日本はすべての資産を没収され、手荷物
だけで帰国することになりました。
日本人の所有していたすべての工場や家屋など
資産は進駐して来た米軍が接収し、それらは
米軍政庁から韓国政府に譲渡され、さらに
韓国人の 事業家に払い下げられました。

独立したばかりの韓国は 李承晩大統領に
接近できた少数の韓国人を財閥として
育てることで政権の安定を考えたようです。

金智泰は日本人の残した資産の中で絹織
工場を 払い下げてもらいました。
これを基礎にして釜山の大資産家の道を
進むことになりました。

釜山日報社、釜山文化放送、 三和ゴムなど
配下の会社を増やしていきました。

1950/5/31-1954/5/30 国会議員(無所属)
1954/5/31-1958/5/30 国会議員(自由党)

李承晩がハワイに亡命して朴正煕が政権を
クーデターで抑えると、李承晩を支えた主要
財閥に圧力を加えることになりました。

1962年 朴正煕は配下のKCIAに命じて主な
財閥の当主を財産の不正蓄積・海外移転の
容疑で拘束しました。

金智泰も拘束され「財産を国家に献納する」
誓約を提出して釈放されました。

保有する韓国文化放送、釜山文化放送局、
釜山日報社の全株式は別組織に移されました。

その後 財閥はなだれを打って朴正煕支持の方向に移行しています。
次の全斗煥政権になると同じ事が起こります。

金智泰は全斗煥政権と合わなくて三和ゴムから始まり、事業を潰されたと聞いています。

画像は合同年鑑(1960・1966年)合同通信社


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