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米倉清三郎

(よねくら せいざぶろう:1897-1975) 米倉清三郎

明治30年(1897)奈良県南高城吐川郷村で生る
大正9年(1920)渡鮮
大正14年(1925)丸大護謨工業株式会社を

兵庫県神戸で兄の米倉清次郎と共に設立
昭和3年(1928)5月 丸大護謨工業釜山支店を作り
ゴム靴の販売を始めた。
昭和9年(1934)三井物産と提携して南鮮のゴム会社を
統一して三和護謨株式会社を作る

他に東亜綿業梶i凡一1298)社長
釜山窯業梶i田浦里39)社長

  昭和17年(1942)に釜山商業会議所会頭の

西條利八が急死したので後任として
米倉清三郎が会頭に就任しました。

昭和19年 米倉清三郎は慶尚南道経済會顧問に

なりました。
昭和20年(1945)日本の敗戦によって三和護謨の
総資産は進駐したGHQに凍結されました。
日本人総帰国命令で全ての財産を 残して
手荷物だけで帰国することになりました。

昭和21年(1946)2月大阪で昌永工業を引き継いで

「三和」の社名でゴム靴を作り始めました。

まもなく自転車のチューブゴムの事業に転換をし、靴は作らなくなりました。

昭和38年(1963)労使紛争の為工場を閉鎖、不動産業になり社名も「三和興産」に 変わり京都で盛業中です。
米倉清三郎氏は昭和50年(1975)没。 三和興産は長男の久男が継承

写真は新釜山大観より:果川市の太虚さま提供


春子(妻):米倉清太郎の娘 1936/3/5没
久男(長男),清充(次男),邦充(三男), 良江(長女)
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