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佐藤潤象

(さとう じゅんぞう:1862 - ?)

佐藤潤象

文久2年(1862)8月、肥後(熊本)で生まれました。

公務員として林務官となり 岩手の大林区署長と
官有林の管理をしていました。

明治27-8年ごろ朝鮮の将来に着目して渡鮮、
釜山で 事業を始めました。

狭い釜山居留地を埋立して広げ新市街地を創る
ことが釜山将来の発展に繋がるとして高島義恭と
は共同して政府・外務省・関係機関や釜山居留民と
交渉しました。

明治32年 韓国政府の承諾を得て北浜町沖の
測量を 始めました。

写真:在韓人士名鑑(木浦新聞社:明治38年)


佐藤潤象

明治33年 韓国政府は京釜鉄道会社に
埋立許可を出したので京釜鉄道創立委員長の
渋沢栄一と大倉喜八郎を訪問して同意を求め
ました。

同年7月佐藤・高島は渋沢・大倉と埋築契約を
交わし韓国政府に再度埋立申請をしました。

明治35年7月5日 資本金25万円で釜山埋築
できて北浜町沖の埋立が始まりました。

現在の釜山中区中央洞の土地は彼の情熱で
出来た土地です。

完成した新しい土地を作った功績を意味で
彼と釜山埋築鰍フ役員の名前が町名になりました。

昭和9年ごろの改定までの長い期間「佐藤町」の
名称が親しまれて使われていました。
(大橋通2丁目に改定)

写真:表紙が無い為書名:発行所不明

佐藤潤象 明治43年11月 釜山電燈釜山軌道
韓国瓦斯電気(東京市京橋區木挽町)が
買収し 設立しました。佐藤潤象は常務になる

明治45年5月韓国瓦斯電気の朝鮮の代表者
になる。
大正2年に韓国瓦斯電気は朝鮮瓦斯電気に
社名を変更しました。

大正3年 朝鮮軽便鉄道を設立

大正4年8月の朝鮮瓦斯電気の総会で香椎
源太郎
が社長に就任、佐藤潤象は役員から
退きました。

それ以後 釜山から住所が移ったようです。
大正13年(1924)1月31日公示の国会議員
選挙で熊本1区から 出て当選しています。

関税定率法中改正法律案(A08072485400)に
賛成者として議員の名前を見ることができます。

写真は昭和12年ごろの近影
社史:朝鮮瓦斯電気発達史より


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