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大池忠助

(おおいけ ちゅうすけ:1856 - 1930)

大池忠助

明治38年発行の木浦新報社の発行した
「在韓人士名鑑」に載った若い頃の
大池忠助 です。

對馬巌原の出身 安政3年4月20日生まれ

明治8年の初期に釜山に渡り商業に従事して
大池旅館大池回漕釜山水産会社、等
貿易を営み、多くの 土地家屋を所有して釜山で
最大の富豪として有名です。

大邱にも支店がありました。 朝鮮時代の大邱
城壁に囲まれていて不便だったので城壁の撤去
事業を個人で行いたいと領事館に申請して話題に
なったことも ありました。

明治38年4月日露戦争の功績で勲六等に叙し
瑞宝章を貰う
明治40年  日本赤十字総会に出席
明治42年 日本赤十字社 有功章を受ける
大池忠助

写真は大正5年の最後の釜山居留民団の民団長
として撮影されたものです。

民団長に就任したのは大正3年です。

釜山商業会議所会頭や民団議会の議長職など
各種団体の要職歴任しています。

文化財の保護にも熱心で釜山鎮の 永嘉台が釜山府の
都市計画で撤去されると聞くと私費で水晶町の別荘地
(大池公園)に移築して保護しました。

大池公園は現在の佐川小学校付近ですが
痕跡も残っていません。

大池忠助

昭和3年発行の釜山営業家要覧に載った
大池忠助の晩年の写真です。

2年後の昭和5年(1930)2月2日 大邱で客死

事業は彼の息子の大池源二が引き継ぎました。

釜山の三大人物と言われた金持ちの中で最初に
亡くなっています。
他の二人は迫間房太郎香椎源太郎


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