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三浦悟楼

(1846−1926) 三浦悟楼

明治28年8月17日(1895)三浦悟楼は朝鮮駐剳全権公使
として井上馨の後任として赴任しました。

10月8日閔妃暗殺事件が起こりました。
10月17日 命令で帰国、後任は 小村寿太郎

事件の首謀者として拘束され 広島裁判にかけられ、
結果は証拠不十分で釈放になりました。

事件に どの程度の関与だったのか?
異説が多く正解は謎です。

赴任から決行まで2ケ月(66日)しかなく、初めての朝鮮
渡航で事前情報や関係人脈が少なく、朝鮮語もできない
ので首謀者として反政府クーデターを企画・実行する
には 準備期間が短すぎるような気がします。

「写真五十年史」国民タイムス社(大正4年発行)
弘化 3年:1846.11.15山口萩生まれ。
号は観樹。藩校明倫館に学び、奇兵隊入隊。戊辰戦争に参加。
明治 4年:1871.12東京鎮台司令官、
明治 6年:1873.7陸軍省第3局長、
明治 9年:1876.10広島鎮台司令官、
明治10年:1877.3征討第3旅団司令長官、(西南戦争)
明治11年:1878.12西部監軍部長、中将になる
明治17年:1884.7子爵、
明治18年:1885.2欧州視察,1885.5東京鎮台司令官、
明治19年:1886.7熊本鎮台司令官、1886.8免職、
明治21年:1888.11〜92.5学習院長、1888.12予備役、
明治23年:1890.7〜91.9貴族院子爵議員、
明治28年:1895.8韓国駐箚特命全権公使、閔妃事件により入獄、1895.10免職、
明治29年:1896.1釈放、
明治43年:1910.10枢密顧問官、
大正15年:1926.1.28死去。


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