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戦死になった語学生 黒澤盛信

朝鮮錦絵_京城動乱

戦死として靖国神社に合祀されるのは軍人だけだと
思っていましたが そうではないことが分かりました。

明治15年7月(1882)京城動乱(壬午軍乱)で戦って
死んだ人たちは戦死になっているのです。

この朝鮮錦絵の中で戦っている陸軍省語学生徒の
池田平之進、岡内格、私費留学生である黒澤盛信は
共に討ち死にしました。

黒澤盛信は軍人ではなく まったく個人ですが苦戦する
公使館に駆けつけ暴徒から公使館を守る戦いで死んだのです。
朝鮮錦絵_京城動乱

この錦絵では奮戦する巡査を描いています。

通常 巡査や公務員が死亡した時は殉職となるのですが 最初の海外での動乱で死んだことに対する処置として 戦死として取り扱い、皆を靖国神社に合祀することにしたのです。

軍人や軍属など公務と思われる人たちも殺されていて 戦死になっていない人も5.6人いるので分からない所が多いのです。

とにかく靖国神社は政府が合祀申請した件の是非を 審議することはないので 政府が基準を決めた事には間違いありません。


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