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栗田嘉一

(くりた かいち ? - 1950) 栗田嘉一

三和護謨株式会社常務(終戦時)

下記は栗田健次氏からのメールを編集したものです。

---------------- 引用 ------------------------

栗田嘉一は静岡県磐田市見付に生まれ、中学3年の時に釜山に母親と渡り、
煙草屋、履物店をしていたそうですが、ゴム靴販売に転じ、
さらにゴム靴製造に変わったように聞いております。

また釜山では宝生ゴム工業所、宝生鉄工所、東洋石材工業を経営しており、
また興和ゴム(自転車のタイヤ製造)の専務もやっており、

釜山商工会議所の副会頭、府会議員もやっていたようです。
長年外地で暮らし、日本内地には資産もなく、
終戦後は大変な苦労を致し、昭和25年に亡くなりました。

敗戦の為全ての資産を失い失意のどん底にあった父が再起の為に一気奮発して、
背負ったこともないリュックサックに商品を詰め込み経験のない衣料品販売を
始めた姿は未だに小生の脳裏に深く刻まれております。

引き揚げてから総勢9人(母、子供7人)の家族を養う為に立ち上がった姿はその後の
小生の人生に大きな影響を与えてくれました。

終戦時小生には男の兄弟はなく、4人の妹が居りましたが、すぐ下が4歳違いの10歳、
それから4歳,3歳下で妹たちは在韓時代のことはほとんど記憶にありません。
引き揚げ後に妹が2人増えましたが、小生以外に父の事を記憶しているものは居りません

昭和15年に皇紀2,600年を記念して、父が郷里の静岡県磐田郡見付町に米国フォード社の
消防車1台寄付いたしました。

-------------------引用終 ----------------------

住所:釜山府草梁町827

画像提供:武安さま

家族:
妻:?、子

釜山商工会議所副会頭、釜山府会議員



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