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木部シゲノ

(1903〜1980) 木部シゲノ

写真は京城日報の大正13年12月15日と16日に
上下 2回にわたり木部シゲノ事を紹介した記事の
見出しです。

新聞記者のインタビューに下記のように答えています。

「欧米の女は男子と伍してすべての方面に活動して
いる。自分は普通の家庭の女として生涯を終わり
たくない。この元気と、この体力とあれば、どんな
危険な仕事でも出来そうだ。また一つにはこの貧乏
暮らしから遁れて、両親を喜ばせて上げたい。
それには飛行家となるより外、自分に相当な華々しい
仕事はない。」

明治36年(1903)11月 福岡町築上郡八屋町で生まれ、
3歳の時 両親と共に朝鮮平安道の鎮南浦に移住、
そこで両親は魚屋を開業しました。

木部シゲノは子供の頃から活発で、ズボンをはいて
自転車に乗り親の手伝いで魚の配達をしました。

弟と妹がいるが彼らは普通

中学になると柔道をはじめ体を鍛える、 朝鮮の
魚屋の娘で終わる人生を嫌い、大正12年(1923)
20歳で単身上京して 自動車の運転を学び、続いて
神奈川県の第一航空学校に入学して飛行機の操縦
練習を始めました。

この記事は大正13年12月21日の京城日報です。
まだ免許は交付されていませんが、航空学校を
卒業して女流飛行士と注目をあびたのです。

現在 日本でただ一人の女性飛行家が実家の
朝鮮の 鎮南浦に帰る途中の取材です。

注目をあび、新聞社や映画会社から取材をされ
京城でデモ飛行を行い人気を集め、寄付金など
集まり練習費用の工面ができるようになり。
男装の麗人としてプロマイド写真が売れはじまました。
木部シゲノ

昭和2年(1927)木部シゲノが曲芸飛行の
できる二等飛行操縦士第一号免許を取得
同年10月 鎮南浦で郷土訪問飛行を披露し
賞賛を受けました。

同年11月 玄界灘の空をはじめて越える女性
飛行士になる宣言と新聞社の公演で京城上空の
デモ飛行を行いました。。

写真は毎日申報(昭和2年11月26日)

朴敬元は同年10月 3級飛行士の免許を取得
木部のデモ飛行に併せて入京、朝鮮人女性と
して始めての女流飛行家なので新聞社の取材を
受け寄付金を集める。

昭和3年8月 福岡県築上郡八屋町の上空から、
生まれた場所として2度目の郷土訪問飛行を
行いました。

福岡の各地で飛行を行いました。
彦山川の河川敷から飛び立って曲芸飛行をした
彼女を子供の頃、見て 空にあこがれた話を元特攻
隊員だった永末千里さんが書いています。
木部シゲノ

曲芸飛行のデモフライトの最中に河川敷の土手に
機体の一部があたり墜落、重症で入院しました。

昭和8年 家業を助ける為 飛行機から離れ 鎮南浦に
戻り、トラックやタクシーの運転手を始めました。

昭和13年 北京で雑貨商を始め、中華航空総裁の理解で
航空思想の啓発としてグライダーの青少年教育を始めるが
戦争で中止

昭和21年 帰国、昭和24年(1949)、民間航空事業再開を
機に上京、翌年日本婦人航空協会の設立に参加

昭和41年 勲六等宝冠章を受賞
昭和55年(1980)没

「静岡県航空史」(平木國夫著)の集合写真(昭和
9年ごろ撮影)から「木部しげの」だけを抜粋した


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