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金井俊行

(かない としゆき:1850 - 1897 ) 金井俊行

肥前(長崎)西山で嘉永3年正月生まれる。
家は代々 代官の手代

字は世迪、号は晴岡、通称清之助、後に俊行に改める

八歳の時 漢籍を長川幹二に学ぶ
慶応元年 長崎代官役所書役
明治元年 長崎府軍用方属役
明治11年 長崎県少書記官 正七位
明治16年 佐賀県大書記官 従六位
明治19年 長崎区長になり上下水道の敷設を推進
明治20年 長崎年表3巻を著作
明治22年 勲六等

市町村制施行選挙で長崎市長に立候補
水道建設推進の金井は破れ、水道建設反対派
が当選。
しかし市長になった北原雅長は何故か?水道
建設を推進して明治24年 長崎の水道は完成
明治23年-26年 南高來郡長
金井は渡鮮し、明治27年3/13に釜山居留民総代
選挙で選出され 釜山居留人民総代に就任

前任:阿比留護助  後任:佐原純一
任期:明治27年-明治29年 

明治27年7月 日清戦争が始まると、畳1枚に兵士1名を分泊できるように、日本人居留地内の家屋調査実施

釜山居留地内の飲料水は對馬の倭館時代に作られた
数個の井戸と簡単な竹樋で寶水川から水を引いていて
慢性的な水不足でした。

上下水道に明るい金井が総代になると水道の計画を
行い6月から工事を始め翌年完成しました。

釜山で最初の水道は寶水川の上流の遠高見山の
中腹に貯水池の堤を 造り、そこで濾過した水を伏兵山
配水池
にもってきて、そこから居留地内に給水しました。

明治27年9/8 水道敷設材料の輸入税免除を受ける

下水は長手通りの中央を流れていた 桜川が人口が増えたため下水と化していました。

明治28年6/17の居留民会議で桜川を下水として改修、蓋を被せる決議をとり工事にかかりました。
桜川の両脇の縄手通と中辻通り合さり広い道路に なり長手通(現在の光復路)が生まれました。

総代の任期を終えた翌年の明治30年8月(1897)47歳で没

著作
長崎年表35巻、長崎水道一斑、島原地変記、原城耶蘇教亂記、南高來郡全図、温泉案内記
南高來郡町村要覧、長崎略史

参考文献
長崎県人物傳(昭和48年)臨川書店発行
長崎事典・歴史編(1982年)長崎文献社

画像:新釜山大観より:果川市の太虚さま提供


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