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刺客 洪鐘宇

(ホンジョンウ)

朝鮮錦絵で定番、 「上海にて保守派の刺客 洪鐘宇が金玉均を暗殺」を報じた版画です。

洪鐘宇はフランス留学生の第一号と言われています。
当時の朝鮮政府留学生は米国と日本だけなので 都事の洪在源は息子をパリに私費留学させたのです。

甲申の変で身内を殺された閔妃は 危険人物として開化党の中心人物である金玉均 を殺すため日本に刺客をつぎつぎ送ったのです。

フランスから帰り日本滞在中に刺客の李逸植と知り合いました。
当時の朝鮮は国王や皇后の推薦がないと高い地位に上がることはできません。 暗殺することで閔妃の推薦を受け要職得たいと思ったのです。

明治27年(1894)上海に渡航する金玉均と同行したとき、隙を見て銃撃し 暗殺に成功しました。

その功績で地方裁判所の長官に任ぜられ、後に濟州島の長官も勤めました。

朝鮮が清国の属国から独立する際の国名「大韓帝国」は彼の進言で採用されました。

さらに要職を望んだのですが国王に拒否されたので愛人を連れパリに旅立ったと 言われていますが詳細やその後の消息は不明です。



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