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北に拉致された女鳥人 李貞喜

最初の韓国人女性飛行士朴敬元の事を調べていて、周りの人たちの事を
知ると更に理解が深まるような気がします。

2番目は影が薄いのです。韓国人女性で2番目に空を飛んだのは
日本飛行機学校の後輩の李貞喜です。

  李貞喜

明治43年(1910)1月に京城で生まれました。

彼女も資金難で新聞社の寄付や同窓会主催の後援会で
ダンスを踊ったりして、飛行学校の月謝を工面しながら
昭和2年(1927)11月 18才で飛行学校を卒業し、
三等飛行士になりました。

  写真は朝鮮中央日報より
京城日報

昭和8年(1933)8月4日 京城府楼上洞753の
自宅で 女流飛行士の李貞喜が服毒自殺を
はかり 重態となりました。
恋愛中だった相手と上海で会い、京城に帰って
すぐなので 悲恋と飛行士としての資金難の
2つが 原因ではないか?と言われています。

1933/8/06(京城日報)


昭和9年(1934/8/7) 朴敬元の一周忌に追悼飛行が
おこなわれました。

李貞喜は日本飛行機学校の後輩として朴敬元
飛行予定コースを旅客機で通過し上空で追悼を
行なったのです。

フロート上の右 伏見飛行士、左 正田マリエ
機上の右 入江飛行士、左 李貞喜

写真は「釜山日報」から

大韓民国成立と同時に彼女は李承晩大統領に女性の飛行隊の設立を訴えました。
許可されたので空軍女航空隊に所属し飛行士の訓練を始めたのです。

朝鮮戦争が始まりソウルが占領されたとき 多くの知識人やリーダーが北に拉致
されていきました。

彼女の名前も大韓赤十字社申告名簿で北に拉致されたことが分かったのです
当時47歳 その後の消息は不明


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