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和館の北塀 1

龍頭山を中心とした開港前の居留地を對馬は「和館」と称し、朝鮮は「草梁倭館」と呼んでいました。
ここでは對馬の呼称である「和館」を使用することにしました。

路地を挟んで右が鮨「明松」 左は大坂カレー屋 視点方向は東 (2012/01撮影)
この路地から右は和館の中で左は外、路地に塀の北側基点があったようです。
突当りのビルの場所は海岸でした。 東光洞3-5-1

下図の和館の敷地だった場所が釜山の開港で日本人居留地と名称が変わりました。
居留地の拡大が東莱府に認められ、 明治13年の布達で新に北濱町が日本人居留地に追加になる。
この路地が北濱町と本町の境界なので、赤丸で示した和館の塀があったと推測できます。

正確な塀の基点は発掘調査が必用だと思います。
北濱町は明治42年5月の町名改定で本町に編入され消滅
倭館

全体の様子  道路名:光復路97番キル 視点方向は 南東(2010/08撮影)
東光洞3-5-1


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