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鎮海の場所

鎮海の場所

概要:
慶尚南道の鎮海は釜山の西側に接する
人口約15万の中規模の海辺の町です。

北は昌善市、南は海、東は釜山広域市
西は馬山市

巨済島や加徳島が前にあり入り江と
あわせて 内海になり、天然の良港です。

明治の初めごろロシアも目をつけて軍港
建設を考えていましたが日本との権益争い
で破れ作ることができませんでした。

寒村だった鎮海に朝鮮半島の海軍の拠点を
作るため計画的に町割ができた都市です。

鎮海は現在 韓国海軍の拠点です。
そのため 軍港が見える展望の撮影は
禁止されているようです。
交通手段

バスの利用
鎮海は人口15万程度の中レベルの都市なので高速バスはありません。
ソウルから鎮海にいくには 馬山高速バスターミナルまで高速バス
を利用、そこから隣の市外バスターミナルで 鎮海行きの市外バスに乗換えです。
ソウル-馬山の所要時間約4.5時間(20分間隔)、馬山-鎮海のバス所要時間約30分

釜山からは沙上の西部バスターミナルまたは 釜山地下鉄1号線下端駅そばの
市外バス乗り場を 利用してください。釜山-鎮海のバス所要時間約70分

釜山金海国際空港からは馬山行きのバスが15分間隔で便利です。
(空港-鎮海は1日 4本 6:30、 9:00、 12:00、15:00 )

鎮海直行の市外バスの出ている都市:
釜山、晋州、蔚山、竜院、馬山、昌原

鉄道の利用
鎮海駅はありますが・・・料金が高く、時間もかかり、便数が少ないので時間帯の
調整が難しいなど鉄道マニア以外はお勧めできません。
鉄道利用は 鎮海駅の時刻表をご覧下さい。

googlemap 歴史:
高麗、朝鮮時代の鎮海は昌善郡の一部の熊川県でした。

応永14年(1407)熊川県斎浦の港が開き、 釜山鎮と並んで2つの港が日本との
貿易拠点の時代になりましたが、豊臣秀吉の慶長・文禄の役以後は廃され ました。

慶長・文禄の役の日本軍の拠点が 熊川城です。対岸の安骨城と対に
なって湾を護り、日本からの物資補給の輸送船団がいました。
そこを襲ったのが有名な朝鮮水軍の李舜臣です。

明治になると軍港として適しているとしてロシアが拠点作りを始めます。
日本は国防上 好ましくないとして妨害し、日露戦争以後 日本の軍港と
して市街地建設が始まりました。

佐世保の軍港と対応して対馬海峡を護る軍港として建設される予定でしたが
ランクを下げて要港となりました。要港(鎮海、旅順、大湊、馬公)

朝鮮半島の海軍の拠点として要港部がおかれ最終的に 鎮海警備府の名称になりました。
戦前の行政区分は慶尚南道昌善郡鎮海邑です。

米国との戦争に敗れた日本は総帰国を米軍から命令され施設を引渡して帰りました。
海軍基地は韓国海軍の基地となり現在使われています。

1955年 鎮海邑は鎮海市に昇格し 現在に至ります。


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