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日本人墓地
日本人墓地に行くには 釜山地下鉄1号線の
梵魚寺駅の 2番出口が便利です。地下道を出て墓地に向かう入口です。
客待ちのタクシーがマウルバスの乗場横に
停まっています。そんなに遠くないので歩行に不自由が無い
場合は歩いたほうが良いでしょう。(2010/08撮影)
霊園に向かう道路を中央から撮りました。
ゆるやかな上り坂になっています。
霊前に供える花(造花)を売っている店が
歩道脇に並んでいます。(2010/08撮影)
坂道の頂上付近に釜山広域市金井区図書館
が左手に見えます。(2010/08撮影)
図書館を過ぎると下り坂になります。
(2010/08撮影)
少し下ると左手に霊園の案内板があります。
(2010/08撮影)
日本人墓までの拡大案内(日本語表記)
(2010/08撮影)
中央の道を下ります。
写真では左側
(2010/08撮影)
霊前用の花の売店です。
最後なのでここで買うのが良いかも知れません。
(約5000ウオン前後)(2010/08撮影)
売店を過ぎると左に公衆トイレがあります。
私は図書館で済ませたのでトイレの詳細は不明(2010/08撮影)
道を下って行きます。
戦前の日本人共同墓地は谷町にありました。
戦争に負けた日本は米軍から手荷物だけでの
帰国命令で遺骨の持ち帰りができないまま帰国
した人たちがほとんどでした。釜山に在ったお寺の墓地の遺骨は釜山日本人
世話人会の手で分骨されて福岡市の 聖福寺に
安置されました。(2010/08撮影)
道の右手には韓国人の土葬の墓が並んで
います。谷町(戦後の町名は峨媚洞)共同墓地には
朝鮮戦争で 各地からの避難民が住み着き、
墓石は建築材料となりました。墓地の近くの教会が散在している墓の遺骨を
保管したこともあったようです。(2010/08撮影)
突当りの道を左曲がります。
1962年5月峨嵋洞にあった火葬場の移転が堂甘洞に
移転した時、釜山市は墓地の位牌や過去帳などを
集め、供養碑を建立しました。ところが市街化の波が当時は郊外だった堂甘洞にも
押し寄せてきたので1991年9月にこの金井区の霊園に
再度移転したようです。(2010/08撮影)
橋から前を見ると右手に塔が見えます。
太平洋戦争犠牲韓国人慰霊塔です。日本人墓はこれの道を挟んで左手にあります。
(2010/08撮影)
道から見た慰霊碑です。
拡大です。
「日本人塚移安之碑」と思いますが・・・
「塚」の土編がありません;韓国ではこのような用法なのかもしれません。
(2010/08撮影)
碑の左側には遺骨をいれた時の金属の
蓋が鎖がついたままであります。(2010/08撮影)
基台の下は遺骨収納空間になっている様子で
窓が左右に4つあります。(2010/08撮影)
拡大しました。
アルミサッシュのガラス戸が付いています。(2010/08撮影)
窓が開いている部分です。
網になっています。(2010/08撮影)
墓碑の側の桜に歌がかけてありました。
落ち葉を簡単に取り除いた後、拝んで
帰ることにしました。(2010/08撮影)
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