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大峙トンネル
釜山は対馬の倭館だった龍頭山付近から始まり、 明治時代の 日本人居留地だった中区から
発展してきました。 西区、東区と広がり、釜山は大きくなって行きました。戦後、朝鮮戦争の難民が釜山に集まったこともあって10倍以上の規模に人口が増え、釜山市の
面積も 大幅に増えました。新たに釜山市街地となった沙上區や沙下區を中央の市街地である中区と結ぶトンネルの開通は
釜山の町並みの発展と切り離すことはできません。![]()
東区と西区を結ぶ 釜山トン
ネルは 1961年9月に開通北の方には九徳山、乘鶴
山の 尾根があります。山の裏の沙上区と西区を
結ぶ 九徳トンネルは1984
開通です。今回ご紹介するのは1989年
の夏開通した、西区と沙下区を
結ぶ 大峙トンネルです。西の方には天馬山、峨嵋山、
蒔藥山が並び遮られていて、
います。
現在の中区から西側の沙下区方面に行くには下記の4つの方法が昔からありました。1.大きく山を迂回して海岸を行く
2.天馬山の海岸よりの松島峠を越える
3.天馬山、峨嵋山の間のカササギ峠を越える
4.峨嵋山、蒔藥山の間の大峙峠を越える
比較的 緩やかな4番の大峙峠を越えるコースは重要な道でした。
西区から眺めた大峙トンネルです。
1989年の夏 この大峙トンネルが開通し 西区と沙下區はつながり便利になりました。
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釜山地下鉄1号線も この
道路の下を走って
います 。トンネルの区間は西大新洞
駅と 大峙駅の間です。
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