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日本統治期建物保存

日本統治期建物保存

西日本新聞の2007年7月のコラムです。

日本統治期建物保存の機運が釜山で
生まれようとしているようです。

釜山には名建築と呼ばれた建物がいくつも
作られて 朝鮮戦争でも戦災にあっていない
地区だったのですが 多くが消えました。

残っているのは意識的な破壊から漏れた
建築がほとんどです。

建物を「負の遺産」と呼んだり、再評価と
考えている間は難しいかも知れないのです
楽観はできないと感じています。

独立した韓国ですから韓国・釜山に残る建物を どのような処置(保存・破壊)をするのも
韓国人の自由です。

どのような処置になっても 釜山の街角観察者の視点で記録に残して置くことを続けようと
思っています。破壊から漏れてそのまま残っていることだけでもすごい事なのです。

大事に使っていても年月で劣化するのは自然です。
明治・大正の建物は百年超えるので、壊して立直した方が良いと考える方が普通です

新聞のコラムの下にあった写真は昔の気象台の建物です。

下の写真は 破壊から漏れた街角です。
何時 消えても良い様に 毎回写真を撮って保存しています。

この場所は 明治の中期 まだ釜山駅ができないころ 木造の桟橋関釜連絡船が繋留され、
桟橋までまっすぐのところにありました。

道路が斜面になっているのが分かると思います。明治の半ばごろまでは 左のコンクリートビルの
所が海岸線だったのです。

左端の場所は 昭和初期には 旧桟橋前と呼ばれてました。 日本統治期建物保存
写真の場所:釜山広域市中区東光洞1街6-1


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