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釜山から消えていく日本式家屋4
釜山には多くの日本家屋が残っています。
敗戦で日本人が引き上げた後の建物を
韓国人が大事に利用しましたが、戦前の
建物なので老朽化していて建替える時期に
なっています。ここは 昔の大倉町、現在は中央洞で
金融通りと道の名前がついています。(2007/01撮影)
消えるまでにできるだけ写真に残して
置きたいと思っているので 何度も撮って
いるのです。(2005/07撮影)
横からも撮りました。
戦前はどのような店だったか?
まだ資料が見つかっていまないので 昔の
資料である釜山の街角今昔には載せて
いません。分かる前に消えるのは残念ですが仕方
ないことです。(2007/01撮影
この写真は2005/9で 比較的古い撮影です。
店が全部開いています。
この写真は2007/8での撮影で 新しいです。
角の雑貨屋さん以外は閉まっているので
いよいよ 解体が近いのかもしれません
2007/12 ニューかめりあで釜山に着いたので
あたりは もう暗くなっています。見慣れた日本家屋の場所に足場が組まれ
カバーがあります。解体工事が始まったようです。
横に回ってみると 解体作業をほとんど
終えた重機が休んでいます。翌日には全て無くなるでしょう。
重機の様子です。
奥の方はまだ一部残っているようです
壁際にも残った木材が張り付いて
います。次回 釜山を訪問した時は 完全に空地に
なっているでしょう。
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