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釜山市庁

市庁

今回はお盆の連休を利用した釜山旅行でした。
韓国では平日なので市役所を訪ねてみました。

韓国の盆は秋夕といって旧暦(太陰暦)の
8月15日なので太陽暦の9月末から10月の
始めごろになります。

釜山の電車の結末や 朝鮮戦争当時の釜山の
学校の半分くらいは軍用病院として利用されたと
聞いているので具体的に何処の学校がどこの病院に
なったか?資料があれば見たいと思いました。
市庁

地下鉄駅の市庁で降りるとすぐ市庁舎ですが
外から撮りたかったので外に出たのです。

それと朝食を取っていなかったので近所で
食べる場所を探したいと思ったのです。

見つからなかったのでコンビニでおにぎりを
食べる事になりました。
市庁

赤い色表示された真ん中の15階建の大きな建物が
市庁で 両側に緑で表示された低い警察署と黄色で
表示された市議会の建物があります。

裏のほうは駐車場と公園のようです。
市庁

市庁の玄関に向かうアプロ−チは噴水が
並んでいて 涼しげです。
市庁

玄関を入って中央ホールには釜山市の大きな
立体模型があって釜山の全体の様子が分かるように
なっています。

周りに受付カウンターや観光案内所、売店、
展示場や休憩用ベンチなどがあります。
市庁

反対側の高くなっている台から地図模型を
撮りました。

私の韓国語は下手なので受付に話しかけたら
観光案内所には日本語が出来る係りがいるので
そこで相談するように言われました;;
市庁

観光案内所で用件を話すとそのような事は
知らないと言うのです。

知らないのが当然です。どこの部署に行けば
分かるか?問い合わせしてくださいと言うと
電話でいろいろ聞いていました。

電車の事は市史編纂室、学校の事は教育委員会
らしいと分かったので まず市史編纂室を訪ねました。

そこで 東亜大学の九徳キャンパスに電車が1両
残っている
事を教わりました。

電車は東亜大学博物館の管轄ではなく総務課の管轄なので博物館で聞いても
係りは場所を知らないと教わりました。
市史編纂室は14階にあって展望が良いので周辺写真を撮っておきました。

また6.25時代の学校が病院になったことは軍事秘密ではないけど 陸軍が公表をして
いないので 国連軍の配置データーは教育委員会に行ってもないだろうと聞いたのです。 市庁

データが無い可能性が高いなら教育委員会まで
出かける必要はありません。

市庁の1階にある釜山広報館を覗いてみました。

インターネットコーナがあって無料でパソコンが使えます。

詳細は釜山広報館のページをご覧下さい。



歴史
この場所は戦前 鉄道官舎が並ぶ一帯だったようです。
1945年 敗戦で日本人が引揚げると、韓国交通部が使うことになりました。
1946年 草梁に在った 交通病院の分院ができました。
1949年3月 入院病室を草梁の旧院舎に移転
1950年 朝鮮戦争が起こると、韓国第3陸軍病院総司令部 第二管区司令部 歩兵53師団本部として使用
1994年 市庁が中央洞から移転

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