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中央洞1街東側 2007


中央洞

正面の白い建物(現代証券)から手前が
中央洞1街です。

昭和時代は大倉町一丁目、大正時代は池の町
明治の後半に埋立して陸地になりました。

明治の釜山居留地時代までは 現在の中央洞は
すべて海でした。

(2007/02撮影)
中央洞

視点を少し右に移動します。

この道路付近に銀行や証券会社などが
多いので現在「金融通り」と名前が付いています。

(2007/02撮影)
中央洞

視点方向は東、正面です。

ここから日本家屋が並んでいます。

戦後(1947)の町名改定でここは中央洞1街に
なり ました。

(2009/03撮影)
中央洞

視点を右に移動します。

屋根にカバーをかけてタイヤで重石にして
いる建物はたいてい日本時代のものです。

この道路(旧大倉通り)に昭和の1桁までは
電車が走っていました。
昭和2桁時代は前の大道路に移転します。

(2007/02撮影)
中央洞

視点を右に移動して南方向です。
正面の大きな建物は釜山デパート(市場です。
百貨店ではありません。)
その前は本町市場でした。

(2007/02撮影)
中央洞

前(南)に移動します。

ここまでは中央洞1街です。

(2009/03撮影)
中央洞

この道路の右は東光洞1街。

明治の居留地時代 この道路の先に 桟橋があり
日本との連絡船が停泊しました。

(2007/02撮影)


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